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欲望

「できるまでやればできる」ってのを半分冗談半分本気で脳内で発話したり人に話したりすることがある。明らかにトートロジーではあるが含意はある。

マッチョな考えではあり、これを自分以外の人に投げつけていいのかは悩ましい。あまりしない方がいいと思う。一方、できるまでの現実的な行程を考えるところまで、多くの人は至らない。非現実的と思えても、行き方を考えると意外と可能性が見えたりもするし、考えることでいけるかは努力次第ってのがわかる(こともある)ので、何かに辿り着くにはこの考え方は有用ではあると思う。

本気でやろうとすると、精度の高い目標、中間マイルストーンの設定、達成度の計測とトラッキングが必要で、これをやりきれる人はそう多くない。自分も人生においてたまにしかできない。途中で挫折したり漫然と取り組んで曖昧な成果になったり他のことに気持ちが移って放棄したものがたくさんある。

「真のやればできる」の話はさておき、これについて最近思うのは、欲望とか大志、野望みたいなものって重要だなとそれがないと当たり前だけど何も目指せないし、何にも到達しない。

そして、この「何がしたいのか?」って欲望や大志(なんかしっくりこない表現)?意志?を作っていく方法はけっこう謎である。意図的に作れるものでもなさそうだけど、完全にほっといても産まれそうもない。

最近『認知行動療法の哲学』という本を読んでいる。認知行動療法は様々な精神疾患への有用性がエビデンス・ベースで認められている心理療法のひとつ。そのルーツはギリシャ哲学のストア派なんじゃね?という大変面白い本。

ストア派は、自分でコントロールできることに集中しようね、って話をする。わかる。めちゃくちゃ大事。自分でコントロールできること以外に自分の幸福を預けるととんでもないことになる(ここでいままでで一番失敗した恋愛を思い出してください)。自分の思い込みや思考パターンを客観視してクリアにしていく努力は健全な精神生活のためにとても大事。

けど「将来の」自分でコントロールできる範囲は今のそれからは出てこないものもあると思う。我々の将来の構想は、欲望は、野望は、大志は、夢は、なんとしても成し遂げたいことはどこから来るのか。漸進的なステップアップからは来ないのではないか。現実的な行程表は最初はない。無理だと思うものもリアルに考えて実践すればできる、ってのが「やればできる」の含意だけど、それは行き先の決め方は教えてくれない。

マジで結論とかなくて、うーんわからん、という話でしかないんだけど、何となく欲望は貴重なものだなってことはわかった。おわり。

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