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良かったね。恋人になれなかった、わたしたちへ。

たぶん今から15年以上前の話。

当時音楽活動に明け暮れていた私だったが、“その子”とはライブハウスで出会った。

いつも隅っこにいた“その子”は少し変わった子で、距離感の取り方が下手なのか、友達は少なかったし、バンドマンの連中からも変わった子として見られていた。

伏し目がちで、表情も少なく、話しても抑揚が無い。

かくいうわたしも“その子”の友人とは仲良くなるものの、後ろにいる“その子”はあまり近寄ってほしくないのかと思い、声をかけるに留まっていた。

さて、年頃の子たちは、自分のお目当てのバンドしか見に来ないし、見に来ても出番が終わればさあっと引いてしまう。まあ、そんなもんだ。

けれど“その子”は、他の子たちと違って純粋に音楽を楽しみに来ているようで、よく一人でもライブハウスにいた。

だからよく話をするようにもなった。音楽の話、趣味の話、生活の話。そのうちに、複雑な家庭に育ち、今もなお複雑さの中にいることも知る。

孤独を埋めてくれるのが音楽だったのかも、しれない。

“その子”には恋人がいた。

当時わたしたちが仲良くしていたバンドのベーシストと付き合っていた。軽いノリで音楽を始めたんだろうなって見たら分かるタイプの人物だった。

しかしそれは我々も同じだったから、ソイツにいろんなことを教えた。音楽の良さや、バンドの難しさ、そんなことを教えていくうちにソイツはめきめきと成長した。

音楽が好きになっていたんだろう。ステージでは輝いていた。“その子”と、ソイツが音楽をより好きになっていくさまが我々に、いや、わたしには嬉しいことだった。

変わらず親交を深めていく。

“その子”の苦しい話や、悩みもたくさん聞く。家族とのことだけではなく、恋人、すなわちソイツとのことも聞くようになる。

気付けば人気者になっていたソイツやソイツのバンド。取り巻きのファンもたくさん増えた。前とは違う心配事もたくさん増えていく。確かにそれは目に見えて分かることだった。

“その子”は親から勘当されており、ソイツの家に住んでいた。ソイツの母親が、娘のように扱ってくれたようだ。そういう背景があるがゆえに、“その子”は捨てられることへの恐怖が過剰にあった。

当事は知らないことだ。見捨てられ不安といわれるものであったように思う。

精神的にも弱っていた“その子”は、ソイツに対しても上手に距離感を取れずにいたようだ。

そして絵に描いたように事件は起こる。

取り巻きの一人がソイツと関係を持った。

そういう話が絶えない子だったので、周りは「あいつもやられたか~」と笑っていた。

“その子”は深く、深く傷ついた。

あろうことか、ソイツは本気になった。だから“その子”と別れることにしたのだ。

“その子”は、また、捨てられる経験を積む。

しかしなぜかソイツの家には変わらず住んでいた。ソイツの母親が配慮したようだ。それが配慮かはわからないが、確かに帰る家のない10代の子を放り出すには抵抗があったのだろう。

当然そこにはソイツもいるし、なんだったら「関係を持った子」も普通にやってくる。どういう状況なんだと、思う所だ。

ついぞ限界を迎えた“その子”から、ある日わたしは持ちかけられる。

もうこの家にはいられない。あなたの所に少しでいいから住まわせてほしい

わたしのことを兄のように慕っていたから、こういうことが言えたのかな、とは思う。わたしも“その子”のことを妹のように大切にしていたから、それを飲んだ。

けれど、ひとつ分かっていた。わたしは“その子”のことが好きだった。妹のように大切だった気持ちが、いつしか恋のようなものになっていた。

なぜなら、そうやって“その子”のことを傷つけたソイツを、許せなくなっている自分がいたからだ。

その許せなさは、家族を傷つけられたことへの怒りではなく、好きな人を傷つけられた時の怒りだ。

いざ、我が家にやってくるというその日、“その子”はこう言って来た。

最後にここでみんなとご飯を食べたい。だから明日行こうと思う

わかった、と答えたが、結局“その子”は我が家に来ることは無かった。

ある日、ソイツのバンドのライブがあった。わたしも“その子”も観に行っていた。特に先日の出来事について話すことなく、普通に笑って、普通に過ごした。

そのライブを見ている途中、突然“その子”がその場を離れた。すぐに何が起きたか察したわたしは、誰よりも早く追いかけた。出口ではもう合流出来ていた。

“その子”は、めったに人前で泣くことはないけれど、その時は真っ赤な目をして、ぼろぼろと泣いていた。わたしは何も言わずに側にいた。

エレベーターが閉まるとき、わたしの友人たちがこういう。

今が出番だよ、抱きしめてやれ!
お前が幸せにしてやるんだ!

わたしが“その子”を好きなことは、わたし以上に周りが気付いていた。だから、今がチャンスだと、そう声をかけたのだろう。

そして恐らくだが“その子”にとっても、もうわたしという存在がただの【兄のような人】ではなくなっていたんだと思う。彼らはそのことも知っていたんじゃないかな。

わたしは、“その子”を、抱きしめなかった。

もし“その子”が待っていたとしても、今が千載一遇のチャンスだとしても、わたしはそれを選ばなかった。

ただ側にいて、時々話す言葉を受け止めるだけだ。

勇気が無かったから?それはあるのかもしれない。あとで周りにはそう言われた。こんな時に抱きしめられないで、何が【好き】だよと、ののしられもした。

でもそうではない。

弱っている“その子”を落とすことは簡単だ。そんなことは、わたしでも分かった。でもそれをすることが、おかしいこともよく分かっていた。

いやおかしいかどうかは分からないが、わたしは許せなかった。


“その子”はソイツの【ふるまい】に傷つけらていたのは明確だった。

自分の欲望を優先し、“その子”ではない子と寝て、しまいには本気になって、そうやって“その子”を傷つけたのだ。

誰かを大切に思って抱きしめるのではなく、自分が大切だから自分を抱きしめたくて相手を利用した。

わたしはそういう風に理解している。

ここでわたしが、明らかに傷ついている“その子”を抱きしめることは、ソイツや≪ソイツら≫がやっていることと、何が違うというのだろうか。

そうはなりたくなかったし、そうしたくもなかった。同じように“その子”を傷つける側に回ることは、おかしいはずだから。

それもまた、自分勝手な感情だとしても、そこで【誰かを巻き込むこと】だけは、絶対にしたくなかった。

わたしたちは、結局恋人になれなかった。

その後“その子”は、同じように何度か別の連中の【ふるまい】によって、やはり傷つけられ、そのうちに出会った、癒しを与えてくれる相手の恋人になった。

わたしは自分の決断を、後悔するべきか否か、悩みながら過ごすことになったが、それでよかった。

誰かの大切な領域を、自分のエゴで搾取しても、何も生まれないから。

見かけはうまく進むかもしれないけれど、それは結局の所、エゴ同士が身を寄せ合っているだけだ。

苦しくとも辛くとも、二人で何かを築き上げていくということの大切さから、目を逸らしているだけだと思うのだ。それで得られる幸せや喜びは、本当の所で繋がっているものでは無い。

・・・・・・・・・

後日談

そんなことがあってから数年後の話。

もうお互いに違う人生を歩み、違う場所で暮らし、あの時間、あの場所で起きたあらゆることが過去になった頃。

帰郷したわたしは久しぶりに“その子”に再会した。そうはいっても懐かしい話に花が咲き、近況なんかも聞く。変わっている所、変わらない所、いろいろあった。

親とは時々話すようになったよ、と。
1人暮らしをしているよ、と。
バンドはもう追いかけていないかな、と。
今は恋人はいないよ、と。


何より、伏し目がちで表情が少なかったはずが、明るくて、こっちを見て、ニコニコ笑うようになっており、別人のように元気だった。

この数年間が“その子”の中で悪いものでは無かったことを、言葉以上に語ってくる様だった。

話しているうちに“その子”からこんな提案があった。

ちょっとドライブでも行かない?

こういうのもなんだが、田舎町特有のコミュニケーションでもあるので特に深い意味はなく、わたしは快諾した。

夜のドライブ。より詳しく最近の話を聞いたり、今夢中になっていることを聞いたりしているうちに、徐々に昔話に入っていく。

あいつは今何をしているよ。
あいつは今こんな風になったよ。


そんな話。その中にはソイツの話も出てきたりする。今はどこで何をやっているかはあまり知らないな、と。そうしてその頃の話になる。

そういえば住ませてほしい~なんて言ってたね あはは」なんて言いながらあの頃のわたしたちを振り返る。

わたしはようやく【チャンス】が巡って来たと思った。

あの頃の弱っていた“その子”から奪うのではなく、いま元気でいる“その子”と分かち合うチャンス。

実はあの頃、わたしは君のことが好きだったよ

わたしは静かにそういった。

すると“その子”はこう答えた。

知ってたよ

わたしたちは、それから黙ったまま、二人で海を目指した。そして、静かな海を眺めながら、何もせず、何も話さず、ただただ二人で海を眺めた。

わたしたちはあの時、確かに互いに惹かれあっていたのかもしれない。でもそれは、二人で紡ぎあげたものでは無く、ぽっかりと開いた穴を塞ごうと現れた感情だったのではないかと思う。

その感情を静かに、その海に流した。もしかしたら恋人同士になっていたかもしれないわたしたちの、起こり得なかった数々の思い出と共に。

良かったね。恋人になれなかった、わたしたちへ。

今はあの頃の決断を、わたしはまったく後悔していない。

終わり。









追伸…あなたはいまあなたの【ふるまい】で、誰を傷つけ、誰を守れていますか?


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