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「自分なんて…」という過剰な自己否定が歪めてしまうもの

謙遜しても卑下するな!

こんにちは、ふじもったです。
またまた寒い日がやってきました。

あれ、こんなに寒かったっけ?と思い天気予報を見ると、これでも一番寒い日よりは暖かいんですよね。
うーん、頭が寒い!

さて、コミュニケーションデザインのために必要となる『自分を知ること』シリーズの番外編です。

ちょっととある場所で話を聞く機会があったのですが、みんなもしかして自分を卑下しすぎじゃない?と思った話です。

さて、今日はコミュニケーションデザインにおいて必要になることの一つ、「自分を理解する」の特別編です。

ついつい自分が下に見えちゃう問題

先日とあるコミュニティにて話を聞いていて思ったんです。

「上司に頼まれた仕事、最後に上司に手直しされちゃいます」
「なかなか自分の仕事が完璧にできません」

あー、わかる!わかりますよ!
ついつい、他の人を見て、自分のことが下に見えちゃう現象!

これ、私もずっと悩まされてきましたし、それでがっかりすることも多かったんですよね。

でも、一つ伝えておきたいことがあって、こういう思考パターンに陥る人は『自分を卑下』していることが多い。

『謙遜は美徳』というけれど…

昔から日本には『謙遜は美徳』ということばがあります。

だから、謙遜した方がいい。
自分のことは低く言うくらいがいい。

そういうふうに考えてしまっているんですよね。

違う違う!そうじゃ、そうじゃない!

それはただ自分を卑下しているだけなんです。

調べてわかる二つの言葉の違い

デジタル大辞泉の『卑下する』より確認すると、『自分を劣ったものとしていやしめること』という意味が出てきます。

一方で、謙遜する、というのはどう定義されているか。

『へりくだること。控え目な態度をとること。』

違うよ。
全然違うよ。

実はこの二つの言葉、全く意味が違うんです。
卑下はもうそのまま、自分を下げてしまっているのに対して、謙遜は心の内では別に下げていないしあげてもいない。

ただ、すごい人がいたら、その人の凄さを認めているだけなんです。

今でも謙遜は美徳だし、自分を卑下しなくていい。

こうして改めて言葉の意味を見ると、謙遜は今でも美徳であり、自分を卑下しなくても謙遜できる、ということがわかります。

そして、過剰な卑下は、自分を見るときに歪んで見せてしまいます

他人への評価と、自分への評価。
この二つはきちんと分けちゃってもいいんですよね。

ということで、もし、謙遜じゃなくてただ卑下してたー!と気づいた方は、ぜひ卑下ではなく「謙遜する」様にしてみましょう。

きっと少しずつ捉え方が変わってきますよ。

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