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機会費用を考える

5月12日の日経新聞で「国会改革、機会費用で考える」というタイトルの記事が掲載されました。国会運営にかかる手続きや時間のコストを、「機会費用」という観点から考察しようというものです。

同記事の一部を抜粋してみます。

日本の国会運営には改革すべきことがたくさんありそうだ。これを「機会費用」の考え方を使って検討してみよう。国会運営を眺め我々が「もう少し何とかならないのか」と思うのは、非効率的な国会運営で莫大な機会費用が発生していると感じているからだ。その機会費用の主なものは次の三つだ。

第1は、官僚が国会対応のために費やしている時間である。例えば、委員会などでの質問者は事前に質問内容を通告するのだが、政府の全部門が通告が出るまで待機しており、時には深夜に及ぶ。国会待機がなければ、帰宅して家族と一緒の時間を過ごせたはずだったのにそれができない。大きな機会費用である。

これを是正するためには、抜本的な改革が必要だ。例えば、技術的・専門的な内容については、局長クラスが答弁できるようにすればよい。さらに言えば、そもそも官僚が細かい答弁を準備しないでも議論ができるような大臣を最初から任命してほしい。

第2は、大臣の拘束時間が長いことだ。例えば、基本的質疑に際しては質問の有無にかかわらず全大臣が出席しているし、予算委員会を通して財務相は全ての質疑に出席する。これも、拘束されていなければ大臣の職務をこなすことができたはずだ。

第3は、国会審議優先のため、外交的な成果が得られにくい場合があることだ。3月にインドで開かれた20カ国・地域(G20)外相会合には、国会優先のため林芳正外相が出席しなかったが、その国会での林外相への質問は1問だけ。出席していれば、開かれたインド・太平洋地域、国際社会における法の支配の重要性など、日本の姿勢をより明確に訴えられたはずだ。たった1問の答弁のため随分大きな機会費用を払ったものだ。

そこで、国会の改革を進めるために、非効率的な国会運営がいかに大きな機会費用を発生させているかを可視化してはどうか。委員会で座っているだけの閣僚、国会待機を強いられた官僚について、延べの拘束時間に時間給を乗じれば、機会費用をある程度金額的に示すことができるはずだ。どこかの中立的機関がやってもらえないものだろうか。

書籍「マンキュー経済学Ⅰミクロ篇(N・グレゴリー・マンキュー著)」では、「経済学の十大原理」が説明されています。そのうち、第1原理、第2原理は、次の通りです。このことからも、機会費用の概念が経済学の基本であることが分かります。

第1原理:人々はトレードオフ(相反する関係)に直面している
意志決定に関する最初の原理は、「無料の昼食(フリーランチ)といったものはどこにもない」ということわざに言い尽くされている。自分の好きな何かを得るためには、たいてい別の何かをてばなさなければならない。意志決定とは、一つの目標と別の目標との間のトレードオフを意味するのである。

第2原理:あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である
あるものを獲得するために放棄したものを、そのものの機会費用と呼ぶ。たいていの場合、一つの行動にともなう費用は、想像以上に不明確なのである。

私たちは意識する・しないに関わらず、日常のすべての行動を「トレードオフ」で意思決定します。それをすることで得るもの(便益)と失うもの(機会費用)を足し引きし、プラスになれば行動に移します。

ここで、次のことが大切になってきます。
・何を得るものとみなして何を失うものとみなすか、また得るもの・失うものをどの程度と感じるのかの基準が、人によって違うのを認識すること
・機会費用を意識して把握すべきということ

例えば、糖分がたくさん入ったデザートを食べるとします。得るものは満足感です。機会費用は、支払ったお金以外に、糖質を取り入れたことによる不健康因子の高まりや、それに伴う罪悪感があるなら食べた後に引きずってしまう罪悪感などです。糖分を取り過ぎたことによる病状があり、医師からデザートをやめるよう明確に言い渡されている人は、不健康因子や罪悪感の機会費用が高くなり、食べにくくなるということです。しかし、この視点自体は、今健康だと思っている人にも当てはまることです。

大学に進学するべきか、高校卒業後すぐにプロスポーツチームに所属するべきかという議論があります。この議論に、ひとつの正解はありません。その人それぞれの人生観やキャリアビジョンは異なるからです。そのうえで、何が機会費用になるのかは把握した上で意思決定することが必要だと思います。

この場合、大学進学を選んだ場合の機会費用は、大学4年間の学費がすべてではありません。学費より大きい要素が、プロとして活躍できる現役期間が4年間短くなることです。それがいくらに相当するのかは、人によって違うかもしれません。

プロチーム所属後も出番は当面ほとんどなく、プレイヤーとして実質的に活躍できるようになるのが4年後で、それまでは練習生や控え選手のように過ごす場合は、大学で練習をしてもあまり変わりはないかもしれません。その場合は、最低年俸額×4年分が機会費用と言うことができます。適当ですが、もし最低年俸が500万円であれば、500万円×4=2,000万円です。

一方で、プロチーム所属直後からレギュラーをとれるような選手や、プロに所属することでキャリアハイの期間が早く来ることができるような選手であれば、手放す機会費用はキャリアハイの期間の年俸×4年分になります。適当ですが、10億円×4=40億円という人も中にはいるでしょう。

さらに、高校卒業時にすでに相応の知名度がある人なら、旬な4年間で可能になる、その知名度を生かしたセルフブランドづくりや、CM出演料による実利的な利益なども機会費用になりえます。

もちろん、逆もしかりで、大学に進学しないから手放すことになってしまう機会費用もあります。これらを天秤にかけて意思決定することになるわけですが、それぞれの機会費用がいくらなのかをよく把握したうえで決めるべきだと言えます。

冒頭の例は、国会運営に関する機会費用を構成する要素の内訳、その大きさを把握しようというものです。これと同様の例は、私たちの身のまわりの組織活動にもあると思います。典型的なのが会議です。

各出席者の出席時間の合計が機会費用となり、その会議がなかったらできる別のことが、役職や立場が重い人ほど大きくなります。本当にその構成メンバーが必要で、その会議アジェンダ、討議内容が適切なものなのか、振り返る必要があります。

他にも例えば、計画の承認・否認を決める場面でも考えることができます。うまくいくかどうかわからないことを、不確実要素を避けるために断念した場合には、事業や業務プロセスの現状が悪化すること、他社が先んじてしまうこと、メンバーの士気が下がることがなどが機会費用として考えられます。

実行した場合には、その実行に投入するヒト・モノ・カネ・時間が、別のことに使えなくなります。本当にそこまでしてするべきことなのかを評価しなければなりません。断念か実行かは、各機会費用の大きさによります。

個人単位の例で言うと、なんとなくスマホを眺める時間が、気分転換となって別のことのパフォーマンスを上げる時間になっているなら機会費用に見合った適切な投資なのかもしれません。一方で、また時間を無駄にしてしまったと後悔するのであれば、得るものが機会費用に見合っていないということになります。

冒頭の視点のように、まず機会費用を可視化して把握するのは、必要なことだと改めて思います。

<まとめ>
そのことによって別の何を手放しているのか、明確に把握してみる。

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