見出し画像

最強のパンデミックはゾンビだと思っていたのだが

 パンデミックというものを経験することになって、初めて映画で見てきた世界の現実を知ることになった。

 映画は、世紀末ものが好き、ホラーが好き、医療ものが好き、細菌ものがすき、となれば、当然パンデミックものが好きなわけで、私的には趣向の違うホラー映画として、よく見ていた。

 それが、自分がその渦中に入るとは、100年に一度の当たりくじを引き当ててしまうとは。

映画のパンデミックと現実のパンデミックの違いを考えて、安心感を得る。

 基本的に、致死率の高いウイルスは世界的パンデミックにならない。これは宿主が、感染を広げる前に死んでしまうからだ。死ぬ前にも症状がひどいので動けなくなる。発症し、ウイルスをまき散らしてから死ぬまでの行動が乏しく、すぐ死んでしまうので、感染が広がりにくいし、隔離も出来やすい。

 新型コロナウイルスが世界的パンデミックになった要因の1つも、致死率が低いからだ。さらに無症状で終わってしまう人が大半なので、知らずに動き回り、ウイルスをまき散らしてしまう。結果として広範囲に感染が広がってしまった。

 この常識はずっと保持されていた。

 結果として、パンデミックを扱った映画のほとんどが、致死率の高いウイルスが蔓延して、世界崩壊という流れが多いので、これがあまり現実的ではないという事がいえる。

 だからパンデミック映画を見ながら、現実にはこういうことは起こらないと言うことを噛みしめる。

 新型コロナウイルスが流行るまでは、パンデミックが起こったら、映画のようになるのかと思っていたが、実際にはそうではなかったというのが、今回のパンデミックでの理解だった。

 だから正しいパンデミック映画はゾンビ映画だけ

 この法則から言うと、パンデミック映画の中で正しいのはゾンビ映画だけという事になる。

 致死率の高いウイルスは、広範囲に広がらない。

 しかし致死率100%のゾンビウイルスは、世界に蔓延する。

 その理由は、ウイルス発症者が、広範囲に移動するからだ(襲ってくるし)死んでから移動するという1つの設定をつけただけで、ウイルス的には正しい設定となった。

 しかし同時に、死んでも動いているゾンビという、あり得ない設定なので、現実的ではない。

 という事で、映画のようになる現実を考える必要はなく、安心感があった。

 でも今回のパンデミックは違っていた

 パンデミック映画を見て怖いのは、ウイルスに罹患して苦しんで死ぬことだけでなく、それに伴って社会が崩壊していくことだ。ウイルスから逃れても、社会の崩壊で、人間は生きていけなくなるし、人間の恐ろしい部分を目の当たりにして、逃げ惑うことになる。

 それで現実のパンデミックはどうかというと、そこまでいっている実感がない。

 まずは致死率が低いので、すぐにばたばた死なないこと。そのために経済活動が低くなったとはいえ、続いていることだ。

 だが1年パンデミック状態をやってみて、実感したことは、この状況はゾンビ映画と何も変わらないと言うことだった。

 新型コロナウイルスが、今までのウイルス、よく知られていたウイルスと違うところは、感染して発症するまでの間が、一番感染力が強いと言うことだ。さらに、発症後もウイルスは出続けるので、治療中の隔離が必要で、しかもなかなか直らないので、医療を逼迫している。

 これは、ゾンビと同じである。

 感染を広げる状態になってから、アクティブに動き回り、感染を広げている点が同じである。ゾンビは接触感染で、能動的に人を襲うが、新型コロナウイルスは、飛沫感染なので、襲わなくても感染を広げられるので、結局同じだ。

 おまけにゾンビウイルスに感染した人間は、治療してる途中で死ぬと、ソッコー襲ってくるので、医療が崩壊する。

 新型コロナウイルスの場合は、状況は違うが、医療崩壊している現実は同じだ。

 発症前に感染が始まるという一点だけで、実はゾンビ映画と同じ結果になってしまう。死ぬ人は少ないし、襲ってくるわけでもないが、ウイルスの広がりとしては同じである。

 言い換えれば、実は新型コロナウイルスは、たとえ『致死率が高くなって』も、世界に蔓延する。感染から発症までの間にウイルスを出して感染を広げるのであり、その後発症して死んだとしても、それまでに十分ウイルスをまき散らしている。潜伏期間が4日から12日とすれば、その間にアクティブに動いてもらえば、ウイルスは広がる。

 その後死んでも結果は変わらない。

 感染してから発症までは、どのみち普通に動けるので、発症後の致死率が100%だったとしても、感染は広がる。

 本当にゾンビみたいだ。

 現在致死率が低いと言われるが、それでも高齢者や基礎疾患のある人が罹患すれば死亡率が上がるし、全く基礎疾患のない人でも、死んだ人はいる。変異しつづけるウイルスが、今後致死率が上がる可能性もある。

 そうなったら感染が広がらなくなり、終息に向かうというのは、100年前のパンデミックであるスペイン風邪の成り行きだったのだが、新型コロナウイルスの場合は、それはあり得ない事になるのではないか。

 屍を積み上げつつ、世界に蔓延するパンデミックが、本当に起きてしまうのではないか。

 医療崩壊で加速するのは当然

 今まで、救命率は高かった。

 まず、感染者の多数派は無症状で、死亡はしない。

 症状が出た人でも、日本の医療は致死率1.6%という、世界から見ても優秀な結果を出してきた。ほとんどの場合、死ななくてすむ。

 しかし現在医療崩壊に入ってしまうと、このように高い救命率は保てなくなるだろう。当然致死率は上がる。

 第一波が起きたとき、イタリアやスペインでは、医療が崩壊したことで、致死率が跳ね上がった。治療を受けられなければ死ぬ人は多くなる。病院には入れない人が増えれば、死亡者が増える。どうしようもなくなって、医療では救命率の低い人は入院させなくなったので、どんどん致死率が高くなった。

 その後、感染を恐れて、葬式も埋葬も出来なかったので、遺体を家にずっとおいていた人もいた。

 アメリカでは、遺体をの処理が間に合わず、一時的においておくために、病院の裏の出入り口に、冷凍庫付きのコンテナを横付けして、そこに遺体を運び込んだ。このコンテナが一つ、二つと、増えていった。

 エジプトだったか、広い土地に次々に穴を掘って、そこにコロナで死んだ遺体を入れて、埋めていた。その光景は中世のペスト流行の状況そのものだった。

 こうした現実を踏まえて、日本の政府が何を用意したかというと、何もしていなかったというのが現実だろう。

 今日本は(世界はかな)静かなゾンビ映画を実践中である。

 巣ごもりするとろくな事を考えないので、少し現実的に。

 結局、現状の打開は、医療と言うことになる。

 ワクチンが行き渡って上手くいけば、パンデミックが収まる糸口が見えそうだが、それはもう少し先の話。

 それまでをどうしのぐかは医療にかかっている。

 日本の医療は、本来なら非常によく戦っていた。日本人はそのおかげで、世界の中でもまれな、恵まれた状態にあった。

 しかし、患者が増えすぎて、すでに医療崩壊が起こってしまった。

 そういえば、ゾンビ映画では、ゾンビウイルスに感染した人がたくさん野戦病院で治療を受けるというシーンを見たことがなかったが、(そりゃあすぐゾンビになってしまうから)普通のパンデミックものの映画だと、よく野戦病院が出てくる。大きな体育館とか、展示場などに大量のベッドがならび、患者が寝かされ、その間を防護服の医師や看護婦が歩き回る。

 現在、ビニールシートでベッドの周りを囲い、簡易的な個室を作り、中の空気をダクトで吸い上げて陰圧室を作ることが出来るらしい(そういう商品がある)これの利点は、安価に早く設置できることだが、囲むのがベンドの周りだけという構造だと、患者につける様々な機器を、ビニールの囲いの外に置くことが出来る(センサーのみ患者につける)これによって、日頃の管理は防護服なしで(マスク程度で)行えるそうだ。ビニール内は陰圧なので、外にウイルスが漏れない。多少なりと、スタッフの負担が減るらしい。

 野戦病院でも、これが利用されれば、だいぶ状況が良いかもしれない。

 コロナ専用病院を作ることは既にいろいろな専門家から提言が出ている。

 日本全体では、小規模な病院が多く、コロナの受け入れが出来るのは全体の3%にとどまっている。小規模な病院では、たとえコロナに対応できる医師がいたとしても、エクモなどの機材を持っていたとしても、手間のかかるコロナ患者を受け入れてしまうと、スタッフの数が間に合わなくなる。

 だから、むしろ専門病院を作って、そこにスタッフを集中することで、効率よく治療を行う方が現実的ではないのか。

 実際、普通の病院が、一般患者とコロナ患者の導線をわけて、隔離病棟を作るのは、お金も手間もかかり、非常に大変だ。また一般患者との棲み分けが上手くいかないと、院内感染につながる。

 またおそらく、コロナを受け入れたという事で、既に減ってきている一般患者がさらに減って、経営が逼迫する。

 そうでなくても、コロナに病床を取られて、一般患者が受け入れられなくなる。経営ということを考えると、一時的に国からお金が来ても、一般の患者が寄りつかなくなったら、やっていけなくなる。

 たとえば、4人はいるICUがあっても、1人のコロナ患者が入れば、あとの3床は使えなくなる。こうした効率の悪さが各地で起こっている。

 逆に、コロナ患者専門病院なら、導線の確立が容易であり、一方コロナを受け入れない病院で、一般の患者を受け入れれば、医療崩壊をしのげるのではないかと言うことだ。

 犯人捜しは意味がない

 一部の有識者の間で、コロナ患者の受け入れをしていない病院に対するバッシングが始まってる。ある女性コメンテーターは、自ら資料を集めて、「コロナを受け入れていない病院の中には、エクモなどの機器も、専門医もいるのに、受け入れをしていない病院がかなりある。そこが受け入れをしてくれれば、状況は変わってくる」と言った。

 彼女が示した「資料」は間違ってはいないかもしれない。

 しかしこれは「本質的に間違った判断」だ。

 既に言ったように、小規模な病院では、建物の設計上、感染症を受け入れる導線の隔離をしていない。ここ100年こんなパンデミックはなかったのだから、そんな計劃をする必要がなかったし、発熱外来ですら、日本では一般的ではなかった。その病院に、多額の費用と手間をかけさせて、病院内の導線隔離を作らせたとしても、受け入れが出来るコロナ患者は、せいぜい1人か2人である。一方、一般患者の診療や入院にしわ寄せが来るし、これによって医療難民になる一般患者が出る(特に慢性患者)さらに、コロナ受け入れを嫌って、通院を辞める患者が多くなると、病院の経営はいっぺんで傾いてしまう。

 それよりは、大規模な専門病院を作って、そこにコロナ患者を集中させて、今コロナを受け入れていない病院には、引き続き一般患者を診てもらう。

 そして出来れば、コロナの診療の出来る専門医を、専門病院の方に貸してもらう。

 これが一番効率がいいはずだ。

 そしてこれなら、コロナ受け入れをしない事を摘発するのではなく、出来る形での協力を得ることになる。病院側の協力も得やすいだろう。

 どうも日本の有識者の中には、犯人捜しをしたがる人間がいる。

 医療を叩くことで、政権の無策を隠そうとしているようにも見えてしまう。無駄な考えだ。

 映画でも必ずバカな政府は出てくるが

「感染列島」という日本映画は、新型コロナウイルスの蔓延にさらされた日本の話だが、割と事実に即した脚本で、かなり怖い。

 この映画では、ある島のコウモリから出てきたコロナウイルスによるパンデミックであること、ウイルス株を国立感染研が占有することで、市政の研究者の協力が得られなくなること、国民全体が自宅待機になることで、経済が逼迫する様子、ウイルスの蔓延に追いつかず、医療が逼迫、さらに崩壊していく過程などがリアルに描かれる。

 その中で唯一違っていたのは、政府の対応の早さだ。

 映画においては、日本政府は対応が早く、いち早くロックダウンを行い、自衛隊が出動して、感染者の隔離を徹底する。検査態勢も充実していて、どんどん隔離を行うが、ウイルスの感染量が強く、治療薬がなく、逼迫する。

 現実に即した脚本に徹した「感染列島」も、政府の無策だけは予測できなかったようだ。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?