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虎が穂高を怒鳴った理由

 朝ドラ「虎と翼」を見ていたら、主人公の寅子が、退任する、かつての恩師、穂高の最高裁判事の退任の演説を聞いて、本来渡すはずだった慰労の花束を多岐川に押し付けて出て言った挙句、桂木に叱責されたところで、穂高が追いかけてきて、どうしてまだ腹を立てているのかという顔をされたとき、桂木に促されたのに、「私は謝りませんよ」と言い放った。

 その後、徹底して穂高に思いのたけを怒鳴りつけ、彼女は去っていく。

 このシーンを見た時、正直、なぜここまで寅子は怒るのか、この状況で、穂高に花束を渡してしまわないのかとは思ったが、それはたぶん、自分がこの場にいた場合を考えたことだ。自分が寅子の立場なら、今までの遺恨はそのままに、作り笑いで花束を渡すだろう。
 すでに高齢に達した穂高という判事は、この先に何を言おうと、人生の考えを変えることはない。また、穂高がどうなろうと自分の人生に変化もない。
 しかしでは自分は寅子の立場なら、穂高との遺恨を忘れることができるのか、許すことができるのかといえば、全くそうではない。決して、一生許さないだろう。ただ、怒ったところで何も変わらないと思っているだけだ。
 変わらない人を相手にしていても、自分がつかれるだけ。自分の理想を追求したいなら、協力してくれる人と先に進むしかない。

 しかし寅子は許さなかったし、許さないことをそのまま表現した。決して妥協しなかった。
「流されなかった」
 と思ったら、この脚本を書いた人は、すごいなと思った。
 そう、決して流されない。頑固であること。
 それが、彼女が、この先多くの事を成しえる原動力だからだ。
 またこの時代、女性なのに弁護士の資格を得て、そして戦後すぐに、判事に進むことができた所以だ。
 ここで現実に迎合するのが普通だが、それができない人だから、どんな時も理想に向けてたゆまぬ努力ができたのだと思う。
 それに、穂高が寅子に行ったことは、寅子にとっては、多くの男性が彼女に向けた差別的な態度より、もっと大きな裏切りだったのだろう。
 この物語のベースだが、彼女に対し、厳しいことを言い続け、自分を曲げない頑固な存在は、しかし決してうそをつかず、彼女に対しても、常に同じ対応をしてくれて、結局は信頼できる存在だったという原則だ。例えば、彼女の母親、友人のよね、ソフトな感じではあるが、義姉である花江。花江は優しいが、自分の不満をきっちりと彼女にぶつけてくる。でも彼女の事もきちんと考えてくれて、嘘はない。
 桂木も多岐川も、最初から彼女に厳しい。しかし決して態度も原則も変わらず、常に嘘のない態度だ。
 穂高は、彼女を助けてくれたが、本当に彼女が望んだことを理解してくれてはいなかった。それは当時、彼女が見てきた多くの女性のつらい状況を、本当にはわかっていなかった。
 彼は法律の中立や、弱きものの権利や、戦前の法律の中の不平等とずっと戦ってきたが、でもその立場は、常に安全な男性の法曹界の一人でしかなかった。つらければ家庭に逃げればいいと発言は、女性にとって法律の勉強は趣味でしかないといっているのと同じだろう。もし相手が男性の弟子であったら、あのような言葉が出たのか。

 子供を産むことになる女性が、仕事を続けるのは難しいが、子供を産んでも続ける術はある。そのための協力をしていくのが本当だろう。
 幸いにも、寅子の周りには、その協力があった。彼女の両親は彼女が働くことを支えてくれたし、夫も無条件で支えてくれていた。赤ん坊を産んでも育てる手助けはいくらでもあった。
 しかし職場には、その支えがなかった。
 唯一よね が協力してくれた。よねが寅子に発した言葉は、現在の働く女性にも通じる内容だ。私ができるだけ手伝うから、がんばれという よねの励ましは、なかなか得られるものではなかったはずだ。
 でも、寅子にはそれを受け入れる余裕がなかった。当人の余裕のなさが道を閉ざしてしまうという構図も、現在に通じるところだ。

 寅子は、その時は失敗した。
 だが、戦争という不幸な現実が、父、兄、夫まで奪い、母と、弟と、義姉とあとは子供が3人という状況で、何とか糧を得なければならないという苦境が、実は彼女の背中を押して、再び這い上がるきっかけになった。

 その寅子に対して、よねは、再び責め続けるが、よねの言葉に嘘はない。一度は仕事を断念した寅子の功罪を言うなら、よねは、その罪を決して忘れなかったし、それは真実だ。
 一見かたくなにみえる よね の存在は、寅子に現実を常に突きつけ、そのことが彼女の背中を押し続けた。

 一方、あがき続ける寅子に、穂高は、「家庭教師の良い口を紹介するから、いつでも辞めたらいい」と言ってのけた。
 寅子にはそれが、よね とは真逆の言葉だと気づいたはずだ。
 よねは、寅子が後戻りすれば、厳しく指摘する。
 しかし穂高は、後ろを向かせることを何度も誘いかけている。
 もっと問題なのは、穂高自身はその行為の意味するところを、理解していないということだ。
 寅子が激高するのは、当たり前かもしれない。
 そしてそれは、寅子一人の問題ではなく、未だ法律の前に、苦汁をなめている多くの女性や弱い立場の人たちを助けるという理想を、軽々しく扱った穂高の傲慢でもあるのだろう。
 彼は骨の髄まで法律家ではないのかもしれない。法律は仕事であり、彼の個人的立場は、単なる当時のよくある社会的地位の高い男性でしかなかった。でも女性という立場にある寅子にとって、多くの苦汁をなめている女性にとって、表向きの誠実さなど、何の意味もないのかもしれない。
 たとえ社会的地位は低くても、常に全身で誠実である人の方が価値は高いと思うのだろう。
 それは例えば、寅子の亡くなった夫のような人だ。
 法律家にはなりえなかったが、本当の意味で、女性が社会に出ていくことを全身で支えてくれた。現実を知りつつ、すべてを抱擁しながら、いつか寅子が思うような仕事ができるように望んでいたし、後押ししてくれていた。
 寅子の夫は、寅子が仕事を投げ出して家庭に逃げることさえ受け入れた。彼は寅子が逃げてしまうことを責めなかった。それでも、寅子が後悔しない生き方ができることを望んだ。
 それは穂高が逃げ道を当然のように与えようとしたのとは真逆の意味だ。
 寅子の夫は、どんなことでも受け入れるが、しかし自分を満足させるのは、自分だけであることを教えている。どんな可能性でも構わないが、それをつかむのは寅子自身であることを決してごまかさない。
 寅子は穂高と優三という存在を見た時、人間として誠実であることの大切さを知っていたということだろう。それは理想を実現するためにはとても大事なことであり、目を背けてはいけないことだ。

 穂高は決して悪人ではないし、むしろ多くの業績を成しえた人だ。女性の地位向上にも貢献したし、彼がいなければ女性教育はここまで進歩しなかったかもしれない。でも彼の人間性は、そのまま、今もなお女性が社会において平等に扱われていないという現実を支えている。
 そのことに気づかないことが、実は一番女性の立場の平等を妨げていることの一つではないかといえる。

 寅子はそのことを痛感していて、そのことを許せなかったし、そのことを隠せなかった。それが寅子の寅子たる所以である。

 そこまで表現した脚本はすごいなと思う。
 
 最後に、穂高と寅子が和解したことは、それが女性が社会に進出するときに到達する理想郷ということだろうか。家裁のプレハブ小屋でお会話は、とても示唆に富んでいた。
 穂高は、自分が歳をとって、ものが見えなくなっていたことを詫びた。同時に、いつか寅子も歳をとってものが見えなくなることを案じた。そして、いつまでも正しいことを見失わないままでいてほしいと諭した。

 その後の展開の中で、裁判官である寅子の立場では、すべての事を満たすことができる答えはないことが幾度も出てくる。何が正しく何が間違っているか、法律で明確に分かれていると思っている寅子は、そんなことにはならないことを何度も何度も思い知らされる。その中で自分が守るべき一線はどこにあるのかを模索する。

 寅子のこの先の進路にとって、穂高を怒鳴りつけたことがとても重要な分岐点になっていることが、よく描かれていた。

 今後の展開に期待している。

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