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あの日を忘れてはならない。行方不明2525人のすべての人たちが、家族の元に戻るまでは。

東日本大震災から10年。
今もあの日を忘れない。仕事の取材のため外出。道を渡ろうとした瞬間に強い揺れを感じた。
今までに経験したことのない揺れ、足元がふわふわと波打ち、最初は何が起きたのか、わからなかった。が、すぐに地震だとわかり、娘がいるマンションに向かって走った。
非常階段から11階まで一気に駆け上り部屋に入ると、棚は倒れ、食器類が床に散乱。が、どこにも娘がいない。娘は、別の非常階段から、1階に降りていた。
何とか無事だったが、その頃、東北では、大津波と原発事故というダブルの災害に見舞われていた。
津波が町や人々を襲ってくる様子をテレビで見て、津波の恐ろしさなど経験のない私には、実際に東北の町でこんなことが起きていることが信じられなかった。

今も、家族が見つからない人がいる。

東京新聞の記事。毎週、娘さんがいなくなった海に向かってシャボン玉を飛ばすという、宮城県石巻市の成田博美さん。娘さんは、震災が起きた年の秋に結婚式が予定されていた。花嫁姿も孫も海へ消えたと。
「この水をすべて吸い取ってくれたら、見つかるのになぁ」というお母さんの言葉が、たまらない。
そして、ご主人も、海で消えた娘さんを探すために、潜水士の国家資格を取った。「親だけでも最後まで捜し続けてあげないと」。
大切な家族の命を奪った海。その海の町で生きていく成田ご夫妻の辛さは、計り知れない。

成田さんが飛ばすシャボン玉を見て、きっと娘さんも笑っているはず。
そして、きっとお父さんがわが子を見つけてくれるはず。

あれから10年。復興は進んでいるというが、二度と帰れない町もある。さらに、未解決のままの原発。汚染水は一部海洋に放出され、毎日のように増えていく高濃度の廃棄物の保管スペースが満杯になってきているという。
経済を優先するために、自分たちで解決できないモノをつくってしまった私たち。そんな状況でも、まだ原発を進めていくという判断でいいのだろうか。
 
そして、今の新型コロナウイルスも、ある意味、経済重視の社会の副産物なのかもしれない。それらを解決するために必要なことは何か、誰かが考えるのではなく、すべての人が考えなければならないこと。

今朝のニュース。廃炉作業が行われている東京電力福島第一原子力発電所3号機の原子炉建屋で、地下階の一角の水位が9日から上昇していると。
東京電力は、原因を調査しているという。

東日本大震災で犠牲になった死者19500人、行方不明者2525人、そして遺族たちの涙のせいだろうか。

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