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現実との接地面

人間は記号や言語で表現する方法を身につけてから、目の前の現実との距離が広がってしまった────という言葉に衝撃を受けた。私たちは自分が思っているよりもずっと現実を生きていない。この人間社会は、未来や過去のことを考えることで発展してきた世界だから、そもそも現実を生きていく構造になっていない。やることを決めなければ、計画を立てなければ、改善するために反省をしなければ、社会は発展しない。どんなに今だけを生きようとしても、この社会について考えることができてしまう以上、難しいのかもしれない。さらに人間は、その現実との距離が広がっていることに悩まされているとも感じる。明日を忘れるためにお酒を飲んだり、落ち込まなくなるために薬を服用したり、ストレスを発散させるために甘い物を食べたり、ついには仮想空間を現実と思わせるようなVRを作ったりして、埋められない現実との距離をぼやかそうとしているように見える。

私も現実との距離は遠い。こんなことを日頃からブツブツと頭の中で妄想してしまう人間の距離が近いわけがない。今、文章を書いているからこうなっているのではなく、本当に普段から頭の中がこうなっている。愛ちゃんは冥王星にいると友達に言われたことがある。太陽系にすら入っていない…。だからただ空を漂う鳥や、ぼーっとしている猫に憧れる。でも、たまに出会う現実でしか生きられないタイプの人間は、とても生きづらそうだった。さっきも言った通り、この人間社会は現実を生きていく構造になっていない。そう言った人間は集団から淘汰されて、社会は発展してきている。皆んなと時間軸がズレていると時間が守れないとか、予定通りにやり切れないなどの不都合が多い。鳥や猫みたいな人間ばかりだったら、私たちは今でも野原でパンツも履かずに狩りをしているだろう。だけど私は、今を生きていくことに憧れる。決して、野原でパンツも履かずに狩りをしたいという意味ではない(笑)

引っ越して自然の近くで暮らすようになってから、現実との距離が狭まる瞬間を感じることが増えた。自然が映し出す時間軸は、今だけだからだ。海の波は常に浜辺に打ち上がり続ける。空は時間と共に色を変えていく。山々は静かに葉を落とし、トンビは風に乗って飛んでいる。それらを見て、この世界で人間だけが現実との距離が遠いのだと思い知らされるのと同時に、自然や動物たちが現実に引き戻してくれるように感じた。そこにはたくさんの美しいものがあって、目移りして、あっという間に一日が終わってしまう。昨日や明日のことなんてどうでもよくなってしまう。今を生きるようになると案外忙しい。ドラッグで辛く退屈な時間をぼやかさなくてもよくなる。だから現実との接地面が多くなればなるほど、幸福度は増していくのだと思う。ただ反比例のように、人間社会では生きづらくなっていくかもしれない。私がこのまま、ただ海や山や空を眺めるだけの人間になったら、社会に混ざることはできないだろう。だから人間が身につけてしまった表現、私で言うと文章や絵や音楽で伝えることによって、社会との接地面も残しておくことができる。私は社会と現実との間にある、フィルターみたいな役割をしたいのかもしれない。できるだけ薄いフィルターに。

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