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何もできなくなるまで

私が生活について書きたいと思った長い前置きはこの辺にしておいて、そろそろ本題に突入していきたい。とは言っても、明確に内容が決まっているわけでもない。以前までの私だったら、こういうものをいついつまでに完成させたいから、これぐらいのペースで書いていこうみたいなことをしていたと思う。それは私ならできる。とても得意。でも今はそうではない生き方に興味を持っているから、あえて無計画に書き進めていきたいと思う。

私は今、伊豆半島の右端の少し上辺りで、海まで徒歩3分の所にある、築50年の一軒家で暮らしている。間取りは3Kで、かなり空間を持て余している。車もないのに車庫まである。リビングと作業部屋と寝る部屋を分けていて、分かれているのはいいけど、冬場は暖房を付けて過ごすから部屋を移動すると寒い。でももう慣れた。調理場は漁師さんが使っていた業務用なのかやたら広い。浴槽は昔ながらのステンレス。温泉まで徒歩3分だからまだ2回しか使っていない。古い家だから虫が出る。虫は嫌い。野良猫の通り道でよく玄関とベランダにいる。猫は好き。ご近所さんは見かけるといつも挨拶してくれて、ゴミの捨て方とかを教えてくれる。

以前は東京の1Kで防音室に暮らしていた。初めての一人暮らしにはちょうどいいサイズで、それまでツアーミュージシャンとして全国を駆け回り、一ヶ所に留まることを知らなかった自分にとって、部屋を借りてそこで暮らしていくのは生まれて初めての体験だった。どこで料理すんねんってぐらい狭い調理場にIH、ホテルみたいなユニットバス、陽当たりは悪くて朝日が少し入るくらい、お隣さんは顔も知らない。玄関はオートロックで鍵を忘れたら終わる。よくあるごくごく普通のマンション。最初は何もかもが初体験だったから、これはこれで一人暮らし感を味わえてむしろ楽しかった。当時の自分にとって重要だったのは部屋で音を出せることで、そのマンションがある街なんて一歩も歩かずに決めたし、料理もお風呂も陽当たりもお隣さんもどうでもいいと思っていた。

寝て、起きて、作業して、面倒くさいなと思いながら買い物へ行って、適当にご飯を作って、また作業して、寝る。そこにストーリーは何もない。ストーリーは一つ予定を決めてそこに向かっていく時に生まれるのであって、日常生活からは生まれないと思っていたからだ。全ての動作が一つの目的に到達するための作業にすぎなかった。そして約2年が経った頃、私はおかしくなっていた。何をしても満たされない。幸せを感じられない。せっかく到達した目的さえも味気ない。虚無感すらある。なんだこれ。何かが足りない。何も足りない。何もない。パー!そして私は何もできなくなった。

幸いなことに作ってもらったご飯を食べることと、眠ることはできたため、身体の健康を維持することはできた。もっぱら作業なのは変わりない。食べて寝てを繰り返し、何もないと感じてしまう気持ちとの折り合いを探す中で、海を見るとやたら心動かされることに気がついた。なぜか分からない。山や川や空ではなく、海に惹かれた。海への馴染みはないし、むしろ海水浴は嫌い。でも海を見ている時だけ心の充実を感じる。その正体を私は知りたくなった。

老後の夢は海の見える家で、猫と暮らしながら作品を作ることだった。全ての予定が破綻して、できることもなくなり、あの部屋で暮らし続けるのが難しくなった今、全部すっ飛ばして老後の夢を叶えてみるのもいいんじゃないか?と思い始めた。よくよく考えると老後の夢っておかしい。なぜ老後なのか?目的地を決めることでそこまでとりあえず走っていくための理由づけなのか。今すぐには叶えられないから後回しにしているのか。それは実は一番やりたいことで本心ではないのか。私は叶えてみたらどうなるのか気になり、叶えてみることにした。

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