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マイペースの中で生きてゆくこと

かれこれ半月以上、腱鞘炎で右手が使えない生活を送り、ついに左手で箸を使うのが上手になってきた。人間の環境適応能力はすごい。

右手が使えなくなった時、自分でも驚くほどすんなりと休む決断をした。それは、以前までの私にはなかった選択肢。フリーランスは自分が止まれば、全てが止まってしまう。止まることで計画が遅れるのが嫌で、得体の知れない焦りに襲われる。今思えば、一体何から遅れていて、何に焦っていたんだろうと不思議なくらいだ。

私は身体のことよりも、少しでも前に進みたいという自分の気持ちの方が何より大切で、身体からのSOSを聞こうとすらしなかった。せっかく出してくれている身体のSOSを無視し続けるとどうなるのかというと、もうこれ以上は無理でーす!と身体が根を上げて、最後は脳(心)を強制シャットダウンさせてくる。心は嘘をつくけれど、身体はいつも正直。どんなに壊れていても、不具合があっても、そんなはずはない、まだ頑張れると心は言う。言うのは簡単だけれど、実際にやるのは身体だ。だから私は、何度も嘘をついて誤魔化してくる心よりも、身体の方を信用するようになった。自分の気持ちに正直に、なんてよく言うけれど、それよりももっと手前にある、自分の身体に正直にならなければならない。不健康だけど頑張ってる自分偉いはもう卒業だ。


アーティストやクリエイターは病んでいる方が、がむしゃらにやっている方が、追い込まれている方がいいものができるみたいな法則もあるけれど、それに慣れてしまうと、逆にその状態にならないとできない体質になってしまう。私は、自らが正常な状態から何を生み出せばいいのかが分からなくなっていた。そんな世界はつまらないとさえ思っていた。だからわざわざ試練や困難な方へ突っ込んでいき、自分で自分の身を滅ぼしていたように思う。

でも、それはそれでいい経験だったなあと思っている。限界があることを知り、限界突破をするとどうなるのかということも分かり、私は私の容量を把握することができた。容量が分かれば、あとはそこから溢れ出ないようにすればいい。自分に合ったペースで、適量を注いでいく。満杯になりそうになったら一度栓を抜いて、余裕を作る。このペースは自分でしか決められない。こんなにゆっくりでいいのか?こんなに少しずつでいいのか?と最初は焦るかもしれない。私は始め、あまりにも遅すぎてこんなペースでいいのかと不安になった。でも自分に合ったペースだから次第に心地良くなっていき、焦りは消えていく。そこは他人のペースに惑わされない、自分だけの時間軸だった。

ゆっくりと感じていたその時間軸の中では、むしろ他人のペースに惑わされない分、たくさんのことができている。つまり今までのペースが早かったわけではなく、ただ周りに合わせて走っていただけだったのだ。身体の構造も、心のキャパシティも人それぞれに違う。私は私のペースを見つけることができたおかげで、緩やかに進み続け、たまに立ち止まって休んだり、走ってみたりしている。大事なのはただ前進することなのではなく、マイペースで進むことなのだと。

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