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ただいまとおかえり

通勤ラッシュの中、ギターとキャリーバッグを持って名古屋駅へと向かった。この姿はどこにいても浮いているように見える。自分だけが周囲と違う時間軸を生きているようで、不思議な気持ちだ。アーティストは自由でいられるけれど、同時にその自由への不安も感じる。周りと同じであることは安心するし、本能的にもそうプログラムされている。躁鬱人は自由でいなければ上手く生きていけないから、周囲の流れやプログラムには常に抗っていかなければならない。自由とはそう言った、全てを自分で決めなれければならないという不自由さが付き纏うもののように感じる。だから生きやすいように自分で色々決めてきたけれど、やっぱりしんどいのだ。誰か決めてくれ〜と思ってしまい、乗っかってみてもやっぱりしんどいから薬を飲む、みたいなループになってしまうのだろう。私が自然に頼るのは、絶対に揺るがない圧倒的な存在が、自分の生き方を決めてくれている感じがして安心するからだ。自然の循環に乗っかって流されている安心感と、ありのままでいられる安心感の両方を与えてくれる。

名古屋駅では、ボイトレでお世話になった西川先生に会った。名古屋らしくモーニングを頼み、積もる話であっという間に数時間が過ぎていく。私の海のように、先生にも心を整える場所があって、皆んなそれぞれにそういう場所を見つけてコントロールしているんだなあと思った。コントロールしなければならないほど強くなってしまった感情を持つ人間は、この自然界では浮き過ぎている。通勤ラッシュでギターとキャリーバッグを持った私みたいに。海も土も植物も動物もそんなことは全く考えずに、ありのまま生きられている。周囲の循環ではなく、もっと大きな循環の中で生きていることに気づくと安心するのは、私としてというよりも、人間としてありのままになれていると感じるからかもしれない。久しぶりに伊東に帰ってきたせいか、かなり抽象的な文章になっている…。

名古屋にいる間コメダにも行ったよ

新幹線に乗り込んで、熱海で乗り換えた。熱海で乗り換えるなんて、まるで旅行へ来たみたい。伊豆の空気は独特で、まるで魔法がかかったみたいに穏やかな時間が流れ始める。ここだけ時間軸がズレているようにさえ感じる。電車の中はリラックスしている人たちが多く、車窓越しに見える青空と青い海は幻想的に輝く。この景色がとても好きで、普段なら触ってしまうスマホの手も止まる。

家まで続く最後の坂道を登っていると、たまに見かけるご近所さんに初めて話しかけられた。音楽が好きなようで、私がギターを背負っていたのが気になったようだ。よくこんな所に引っ越してきたね〜と言われたから、すごく素敵な所ですよ〜と伝えたら喜んでくれた。さらに坂道を登ると、いつものご近所さんたちにおかえりと言ってもらった。地元名古屋でもたくさんのおかえりをもらって、新しい街でもおかえりと迎えてもらえるなんて、こんなに幸せなことはない。いつものようにベランダで寝ている猫にもただいまを言い、すぐに海へと出かけた。海は私が一番安心する場所だ。でも今では、ありのまま帰れる場所がたくさんある。それぞれが違う時間軸の中で生きていたとしても、ただいまとおかえりの循環の中へ戻って来られることは、人が安心していられる大切な存在なのだと思う。

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