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生き延びるための観察

朝起きて、キッチンをデフォルトに戻し、コーヒーを淹れて、文章を書く。いつもと変わらないことをしているけれど、身体は重い。その重さの要因は手足や腰などではなく、中心である心臓から来ているように感じる。心臓が疲れているっぽい。走り終わった後みたいな感じ。そのせいで全ての動作が遅くなっている。脳みそは至って冷静で、体調とメンタルを紐づけないようにそれぞれを分けて考えるようにしている。この体調に流されて心まで任せてしまうと、気分の落ち込みに拍車がかかるのを私は何度も経験している。

「鬱は気持ちがいいんだよ、だから抜け出せなくなる」と言われたことがあって、最初にそれを聞いた時はイラッとした。こんなに辛いのにどこが気持ちがいいんだ!って。でも、自分はダメだ〜、こんなダメなやつはこの世からいなくなった方がいいんだ〜、何にもできないよ〜、と思っていた方が実はメンタル的には楽なのだ。自分を底辺に置き、可哀想な自分を演出し始め、次第に居心地がよくなって抜け出せなくなる。人間は気持ちよくない場所にはいられない。鬱には依存性があって、発症の原因は脳みそにあっても、促進させているのは自分自身だったりする。少し辛辣かもしれないけれど、鬱な私は実際にそれをやっていたからこそ言える。自分で自分に酷い言葉をかけ続けることを。今回はそうならないために、身体に起きていることを客観的に捉える練習をしてみている。この先の人生で何度も躁と鬱が来るのなら、それぞれの過ごし方をマスターしなければ生きていけない。メンタルを振り子のように大きく振っていては、ゴッホのようにいつか振り切れてしまうだろう。

まずは、躁鬱人がどうして躁や鬱になるのかを医学的に理解してみようと思う。私は何事も分からないままにしておくのが好きではない。理数系だからかな。仕組みを理解しないと対処もできないし、対処までできなくても分かっただけでスッキリすることが多い。

躁鬱が心の病ではなく脳の病だとされるのは、脳内でドーパミンが異常に放出されてしまうのが原因であり、感情のコントロールに関わる部分(前部帯状回)が小さくなってしまっているからだそうだ。私たちはこの部分を薬を飲んで正常化させている。鬱はドーパミンを分泌させすぎた分なのか、定期的な周期なのか気になって調べてみたけれど、そのメカニズムはほとんど分かっていないらしい。つまりどんなに気をつけて生活していても薬を飲まない限り、脳が勝手にドーパミンを増やしたり減らしたりしてしまう。躁になった分だけ、鬱になるわけでもないようだ。その逆もまた然り。だから躁になった時にいくら行動量を制限したとしても、あとで事故が起きないように予防しているだけで、ドーパミン量を抑制できているわけではないから、その後の鬱は必ずやってきてしまうのだろう。躁のエネルギーはやはり抑えるのではなく、分散させるか、出す方向を調整するしかなさそう。逆に鬱はドーパミン量が減っているだけだから、増やすのはできるような気がする。ドーパミンを増やすのはそんなに難しいことではない。日光に当たったり、運動したり、食事に気をつけたりなど色んな方法がある。SNSはドーパミンをキャッチするドーパミン受容体を破壊するから控えた方がいいのを、以前調べた時に知った。

脳みそがそんな状態なもんだから、生活をルーティーン化させておくことは、躁になった時にやりすぎないため、そして鬱になった時に不健康にならないようにするために大切だと思っている。普段やっていることなら、意識しなくても多少はできるようになっているからだ。ちゃんとご飯を食べるとか、ちゃんと夜は寝るとか、そういった当たり前のことが急にできなくなる日がやってくる。その度に対処していては疲れてしまうし、普段できていないことは急にできるようになったりはしない。例えば、私は普段から料理をしているから鬱になってクオリティーが下がっても、それなりのものは作れるようになっている。料理ができなかったらカップラーメンや菓子パンなど、身体によくないものばかりを食べてますます鬱を促進させていただろう。毎日同じ時間に寝て起きることも当たり前すぎることだけど、躁鬱人にとってそうした小さな生命維持装置の設置は生き延びるために必要不可欠で、できなくなることが致命傷にならないために予防線を張り巡らせておくことが重要だと私は思う。毎日同じことをしていると今日は何ができて、何ができなくなっているのかがよく分かるから、自分が今どちら側にいるのかも気づきやすい。

まとめると、ルーティーンを作って変化を観察すること、できるだけ身体に起きていることと心で感じていることを分離させること、普段から健康のための生命維持装置を置いておくことかな。生き延びるための観察は続く。

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