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パブロ・ピカソの言葉に触れる

家にひきこもって朝から晩まで制作に没頭することが増えました。何十時間向き合ったとしても進むのはよくて紙切れ一枚分。前に進んでいるという実感はあまりできない。孤独すぎて発狂しそう。少しでもいいから前に進んでいるような、成果が実っているような感覚がほしくて中途半端なアウトプットにかまけてしまいそうになる。完成したものをとりあえずSNSにアップして見せちゃいたくなる。駆り立てられる承認欲求ううう!!!

でも、パブロ・ピカソは言う。


「深い孤独がなければ、まともな作品は作れない。」


な、なるほど…。

ピカソはどれだけ孤独な時間を過ごしたのだろう。芸術家はもちろんスキルやセンスも大事だけれど、その孤独と向き合う勇気がどれだけあるかでも変わってくるような気がしてます。


かつて、人間にとって孤独に陥ることはすなわち「死」を意味しました。

暖を取るにも食事にありつくにも一人の力だけでは難しく、コミュニティ全体で協力する必要があり、人間は他人と仲良くする社会的なスキルを磨いて生き残る可能性を高める必要がありました。なので、もしもコミュニティから疎外されるような行動をしてしまった場合、すぐにそこへ復帰するための行動ができるように、人間は孤独によって痛みや苦しみを覚えるようになったそうです。


孤独は痛みや苦しみ。まともな作品作りに必要不可欠な孤独…。

となると、作品を生み出すのはよく我が子を産むように苦しくて大変と例えられることが多いですが、その感覚はあながち間違いではないのかもしれない。


「芸術は悲しみと苦しみから生まれる。わたしは立ち止まりはしない。」


そんな孤独な作品作りですが、子供の頃はアホみたいに絵を描いてました。誰かに見せるわけでもなく、誰かに認められたいわけでもなく、描きたい絵を描きたいように描く。それが私が人生で一番初めに見つけた夢中になれることでした。

でも大人になるにつれて常識を知り、自由を忘れる。そして表現したいものが表現できなくなる。その大人ストッパーを外すためには、やっぱりある程度世の中から外れた孤独な場所に浸る時間が必要なんだと思います。

子供の頃が一つのことに一番真剣に夢中になれていたピーク。あの頃をまた思い出したい。


「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」


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