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欲求がなくなると

今の私は欲しいものが特にないという、自分でも不思議な状態にある。今日は干物を食べたいなとか、海を見に行きたいなとか、そうした日々の暮らしの中ではもちろんある。私が言っている欲しいものとは、もっと認められたい!とか、もっとこうなりたい!のような、承認や比較によって得られる欲求のことだ。矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、向上心はなくなっていない。絵を上手に描きたいとか、料理をおいしく作りたいのような、やっている瞬間に生じる気持ちはある。でもそれはただただ自分を洗練させていきたいのであって、承認対象も比較対象も存在しない。昨日の自分よりもっと良い自分になるみたいなよくある自己批判もなく、昨日の自分と今日の自分がそれぞれにただただ存在している。今までずっと感じていた欲求とは、確実に何かが違う。以前までは欲求に振り回されて、満たされないのが苦しいにも関わらず、満たされたとしても足りないと感じて、ずっと埋まらない穴を埋めているようだった。その穴はすっぽりなくなってしまい、あらゆる欲求が消えて、私はついに悟りでも開いてしまったのかと思った(笑)私は理数系だから悟りという抽象的な言葉ではなく、もう少し論理的に考えてみたいと思う。

心理学理論では有名な「マズローの欲求五段階説」は、知っている人も多いだろう。最下層部の生理的欲求から順番に上へ向かってクリアすることにより、最終的に自己実現に至るという理論だ。

第一階層「生理的欲求」:食べたい、飲みたい、寝たいなどの生きていくための基本的・本能的な欲求。

第二階層「安全欲求」:危機を回避したい、安全・安心な暮らしがしたい欲求。

第三階層「社会的欲求」:友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求。

第四階層「承認欲求」:他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求。

第五階層「自己実現欲求」:自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求。

さらに上「自己超越」:見返りも求めず、エゴもなく、何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態。

私は長らく第四階層にいながら、同時に第五階層を満たそうとしていた。自分らしくいようと世界観にこだわりながらも多くの承認を求めてしまうのは、第四階層が満たされていなかったのが原因だろう。ではどうやって第四階層をクリアしたのか。私は数では解決できないと思っている。例えば有名になりたいと言う漠然とした欲求があったとしたら、100人の次は1000人、1000人の次は10,000人みたいに、上限がない数をいつまでも追いかけることになってしまう。だからここでの満足感は数ではなく、数への理解なのではないかと。100人集まっている時に単なる数字の羅列を見ているのか、100人誰が集まっているかを見ているのかの違いだ。後者の視点がなければ、100人も1000人も同じになってしまうだろう。

第五階層のクリアは、第四階層の時点で「あるべき自分」になっている前提が必要になってくる点が難しい。承認されるために偽った自分を作り出していたとしたら、例え第四階層を抜け出せたとしても第五階層で辻褄が合わなくなってしまう。出世できたけど本当は陶芸家になりたかった…みたいに。だからたくさんの人に承認されたいからと言って無理をしたり、誇張したりして、自分を歪めて得られるのは一時的な満足感であって、どこかで軌道修正が必要になってくる。でも一度承認されてしまうと、せっかく手に入れたその自分を手放せなくなってしまう。承認されているのはあるべき自分ではなく、歪めてきた自分であっても。第四階層までは欠乏欲求だから、いつまで経っても満たされて完結することはない。そうやって人は第五階層の自己実現欲求を抑えながら、第四階層の承認欲求を追求するループに入っていってしまうのだろう。

私は承認欲求の数の呪縛を解除することができたことで、自己実現欲求の追求ができるようになり、今はその欲求すらも満たされようとしている。最初に言った欲しいものが特にないの正体は、おそらく自己実現欲求の段階だからだと思う。悟りの境地に至る最終階層の自己超越には到底及ばないけれど、自分の創作力を使って今いる街のために何かできないかと考えることは多い。もしかしたら風景画がその一つかも知れない。

マズローに金銭欲求が入っていないのは、欲求を満たすためにお金が必要なのであって、お金自体を求めているわけではないとのこと。どんな欲求でも満たせそうなお金持ちが最終的に欲しがるのは、自由な時間と健康と知識らしい。お金があっても結局手に入れたいものは、自己実現に必要なものばかり。私はお金持ちにならずして、すでにこの3つを手に入れている。できるだけ時間に縛られないスケジュールで、身体を料理で楽しみながら管理し、この世に対する疑問を調べて知識として文章に書き起こしている。決して裕福ではないけれど、欲しいものが特にないから困らない。お金は欲求に必要な分だけあればいいのだと実感している。お金持ちにならないと本当に必要な3点セットに気がつけないのは、あまりにも遠回りだ。

宝くじで1億円当たったら何に使いますか?と聞かれたとしたら、新しい服が欲しいとか、お菓子が食べたいみたいな手前の欲求ではなく、旅行して世界中を見てみたいとか、親へプレゼントしたいのように、普段は頭の片隅にあって忘れてしまっている欲求を思い浮かべると思う。旅行して世界中を見てみたいは、旅行できる自由な時間があって、移動できるだけの健康な身体があって、世の中を知りたがっている状態。親へプレゼントしたいは、自分は満たされているから誰かに何かをしてあげたいと思う状態。手に入ると分かっていれば、やっぱりお金や手前の欲求は本当に欲しいものではないのだろう。欲求の心理はずっと遠い先ではなく、想像しているよりもずっと手前の方にあると思っている。

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