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他人を信じる気持ちと行動があれば、自分に自信はなくてもいい

クリエイターさんの画像を使わせていただきました。空が遠くまで広がる景色が素敵です。

もう1つ画像を。先日、仕事の帰りに、新しく土鍋ご飯のお店が出来たので出かけてきました。

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最近テレビでとりあげられている人気のお店です。開店してからある程度時間は経ちましてちょっと落ち着いたころ合いを見計らって行ってきました。「米えにし」さんと言います。美味しいお米を始め、食材にこだわったお店なのがわかります。お水も酒造会社の仕込み水で、すっきりしていておいしかったです。こうした美味しいものをまた楽しみたいですね。おすすめです。

では、本題へ・・・先日のnote記事を今一度載せますが・・・

次に向かって進むという決意の記事を書きました。これは、あることが終わって次に向かう気持ちを表明したのですが、新しいもの(世界)を追い求めていく意味が強いです。今までいた場所を離れて、新しい場所に行くことを決めました。新しい場所に行って次のキャリアを創造する。そのようなチャンスを自分で得ることができたといえます。

私自身は可能性を信じることをミッションにしています。いろいろな人や組織の可能性を拡げていくために、コンサルタントとして、主に人にかかわる面からアプローチをしていくために、主に人材育成や組織改革の観点でサービスを提供しています。

ある場所に行ったときのことです。そこにいる人の気持ちが減退しているのを知りました。その減退した状況をどうやって食い止めて、人の気持ちがあがるようにすればいいのか?

また、一つの場所に目を向けたときに、その場所がどうすれば居心地がよいと言ってもらえるのか?難しいことを考えてばかりではなく、シンプルに、この場所がどうなればいいのかを考えます。

ただ、「どうなればいいと思いますか?」と人に尋ねたときに、その答えが見つからない、もしくは持っていないという人もいます。答えが見つからない、持っていないのではなかなか変わらない・・・のですが、最近は、単に見つからない、変わらないだけではないようです。

前述の質問をある方にしました。そのときに、「どうなればいいのか?」の問いに答えを出すにしても、その答えに自信がない、答えを出すことに不安を感じてしまう、答えを言ってしまったらもう後戻りはできなくなる・・・という状況が見えたことがあったです。このように、答えによってかえって自信をなくしてしまいかねないのではないかと。

しかし、それでいいじゃないですか。自信がなくても不安であっても、どうなるかわからない、怖いのであればそれでいいのです。そんな自分にまず気づけることが一歩めで、気づくに加えて、自分を認めればいいのです。承認するのです。あえて気づかないようにして、気づいても気づいたようなふりをして闇雲に進もうとするので、自信のなさや不安がものすごく大きくなって余計に一歩が踏み出せなくなるのです。

かく言う私も決して自信満々で生きてきた人間ではないのです。

自己紹介記事もそうですが・・・

自信にまつわる記事が多いのがわかります。他人を信じることにかかわる記事も多いのですよ。それだけ「信じる」ことへの意識が働いている証です。

私は世の中の自信がないと答える人に言いたいです。「全然自信なんてなくたってOKです」と。むしろ、その自信のなさを、いかなる立場であっても一人でも受け止めてくれる人がいればそれでいいのです。自信がない人を見て離れていく人はなれるし、ついてきてくれる人は、自信がないというのをわかったうえでついてきてくれるのです。そうすると、足りないと思ったことは補ってくれますね。

自信がなくても、人を信じて行動できればいいのです。相手が信じていようがいまいが、自身が相手を信じているかどうかです。相手を信じることに自信がないと思っても、まずは、相手を信じる気持ちと行動があればそれでいいのではないでしょうか。

自分を信じられなくても、他人を信じ続けていれば自分には必ず跳ね返るものです。以前、私は、仕事である方と面談した時に、「あなたに何かを言ってもどうせ・・・」と言われたことがありました。それでも、相手を信じている気持ちを伝えました。相手から何かを引き出そうとせずに待ちました。そうしたら、ポツリポツリと話してくれました。安心したのを覚えています。信じてもらえないと言われてもそこでひるまないで、自分の気持ちはまっすぐに相手に伝えて信じて待つだけ。

でも、どうしても他人も信じられなくなったら、その時は逃げても、離れてもOKです。新しいところへ旅立てばいいのですから。新しいところで自分が信じられるような人に巡りあえますよ。

やっぱり「信じる」力の可能性を大切にしたいです。


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