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なぜ僕たちは「君の名は。」を公開初日に見に行き、その後4度も見ることになったか。

新海誠監督の映画「君の名は。」

2015年の公開当時、学生だった僕は、友人と2人で公開初日の夜にその映画を見た。

その後、空前の大ヒット(興行収入250億)を記録するその映画、公開初日の夜だったが、地元の映画館はそこまでの盛り上がりではなかった。聴衆が長蛇の列を為している、ようなことはなかったのだ。

そもそも、僕が公開初日に見に行ったのは、それまての新海誠監督の作品が好きだったから、というだけである。

その当時の新海誠といえば、にわかでもアニメが多少好きなら、名前は聞いたことがある程度の人だった。めっちゃ風景がキレイだが、バッドエンドな結末が多いから好き嫌いはわかれる監督、くらいの印象だ。

僕個人はといえば、「秒速5センチメートル」を見たせいで、「one more time,one more chance」が頭から離れなくなり、山崎まさよしのアルバム「HOME」をゲオで借りたり(当時はサブスクなんてものは知らなかった。)、一番好きな「言の葉の庭」を見た時は、やっぱり「rain」にはまってGoogleplaymusicで買ったり(秒速の時とはちがい、スマホが手に入ったから多少の自由がきいてる)した。

ただ、「言の葉の庭」は地元の劇場では当然やってなかったので、「君の名は。」ははじめて劇場で見た新海作品だった。

鑑賞した僕は衝撃を受けた。

例の、隕石の落下と時空を超えた入れ替わりという展開にである。

今にして思えば、予告にまんまとやられたのだ。

当時の公開前に流れた予告、僕が実際に足を運ぶ前に見た映像からは、隕石の落下などまったく予想もしていなかった。

たぶん一度は見たことがあるだろう。この予告映像を基にしたパロディやネタ動画が流行った。

今も昔も、邦画の宣伝というものは、バカでもわかるように出来ているために、ほとんど見に行かなくてもストーリーの半分以上の内容を宣伝の段階でバラしてしまうことが多い。

劇場に着いた頃には、大まかなあらすじは理解していて、完全な初見(ストーリーはおろか主人公が誰かすらよくわからない)状態で見ることはまずない。

そもそもそれまでの新海作品には、そういうストーリー上のひねりとか、どんでん返しなんてものは期待してこなかった。

だからはっきり言って僕は、「君の名は。」を舐めていた。

美しい映像で織り成される、古典的な入れ替わりのラブロマンス。
どうせ新海作品だから、秒速みたいにすれ違い振り返った2人を電車が邪魔してくるんだろ?いや今回は邪魔してこないかもよ?どっちだろな。

そんな、公開初日に見に行ったひねくれ者の予想は大きく覆され、これまでの新海作品にはないエンターテイメント性を全面に出し、良い意味で前評判が裏切られたのだ。

僕は「君の名は。」のヒットはSNSの口コミから火がついたと認識しているが、その口コミをした人たちは、あの予告に騙されたのだと思っている。いい意味で。

その後、大ヒットを受けて、家族と一回、親戚と一回、一人でもう一回、「君の名は。」を見ることになった。

すべては、あの宣伝とエンタメ性のせいである。

当時、10何回、いや20回見たと誇らしげに喧伝している人がいたが、その人たちは「君の名は。」で論文でも書いたのだろうか? 

オタクの愛が狂気であるのは、あの頃も変わらない。

「天気の子」の興行収入が「君の名は。」を超えなかったのは、あの時の衝撃を越えなかったからじゃないか、とさえ思う。

来週公開の「すずめの戸締まり」も、期待はしない。

どうせ大したことない、と舐めてかかるぐらいが、僕が映画を見るモチベーションとしてはちょうどいいからだ。

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