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小説:ハムスター・ホイール

「……あ、もしもし?すごい耳クソがとれたんだけど、見る?」
「……じゃあ、うん」
「今写真送った」
「おえっ」
「今なにしてた?」
「いや、君の耳クソ見てたんだけど」
「あ、ちがうくて」
「youtubeで犬見てた」
「どんな?」
「いや、なんか、爆笑!おもしろ!腹筋崩壊!みたいなどうでもいいやつ」
「クソみてぇな時間過ごしてて好き」

秋の夕暮れは、日を増すごとにその足を早めた。
冬が来る、冬が来ると焦っているかのようなその光は、緩やかな破滅願望を思い起こさせた。
明日世界が終わると毎日言い続ける人。
世界が終わることに一縷の望みをかけている人。
自分がうまくいかなかったこの世界ははやく終わるべきなのだという、強すぎる自己愛。
そんな人たちもまとめて乗せて、地球が回って夜が来る。冬が来る。来年が来る。

僕が彼女に電話をしたのは、でかい耳クソがとれたからではない。
でかい耳クソがとれるという確信は昨日からすでに存在したし、なんならでかい耳クソがとれるように耳かきを我慢していた節すらある。
出来得る限りしょうもない理由で話しかけたかったのだ。
声を聞かないと胸が苦しくなるからなんて理由は、世界が終わる前夜までは言いたくない。
なので僕は毎日新しい、耳クソのようななにかを探す。

昨日、好きな犬が死んだ。

とはいえ直接知っている犬というわけではない。
モニタの向こうでしか、見たことはない。
どこかの知らない犬が死んだからといって泣く必要も資格もないことはわかっていた。
それでも僕は、風呂に入りながら少しだけ泣いた。
艶も油も水分も(それからたぶん命も)失ってしまったその犬の写真は、どうしたって僕が今まで看取った三匹の犬のことを思い出させたからだ。

なので彼女が犬の動画を見ていたと言ったとき、僕の心拍数はおそらく少し上がった。
そして少なからず動揺していたのだろうと思う。
「ねぇもしさ」と僕は言った。
「明日世界が終わるとしたら、なにしたい?」
「え、なに?終わるの?」
「いや終わんないけど。たぶん」
「いやぁべつに、なんかこうやって君となんとなく話しながら、気づかないまんま終わってほしいかな」
「えぇーなんか、後悔しそうなこととかないの?」
「ない」と、彼女は答えた。
ふと気が付いた僕は、
「ありがとう」と彼女に言った。

彼女を乗せて、僕を乗せて、犬も乗せて、地球はきっと明日も回るのだろう。
彼女が歩いて、僕が歩いて、犬も歩けば、そのぶん少しだけ長く地球が回るかもしれない。
ハムスターホイールみたいに。

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