余談「老猫」
猫が階段を降りられなくなった
我が家には17歳3ヶ月の猫がいる。
雑種のメスで早々に避妊手術をしたためか顔つきは子供の頃のまま、幼さを残して大きくなったような猫だ。
体重はかなり軽い。
ここ数ヶ月は爪も仕舞えなくなり、餌の量も減ってはいた。
ただ食べるときは食べるし、排泄物もそれなりにちゃんと出ていた。
つい月曜日のことである。
粗相を続けてするようになった。
以前もトイレから外れて粗相をすることはあった。
だがそれもたまたまだろうと考えていた。
けれど続けざまに――となるとなにか原因があるに違いない。
ネットで検索してみると、だいたいがトイレが汚いなどの理由があげられているが、最近は排泄するとすぐにそれを捨てている。
仕事部屋のすぐ外に猫のトイレがあるため臭ってくるからだ。
でもこのときはまだ、年寄猫にたまにあることとして捉えていた。
そして火曜日。
どこか挙動がおかしい。
これまで階段を降りて一階のリビングに来ていたのに、今では階段の上で鳴いている。
様子を見に行くと最初の一歩が踏み出せず、元の場所に戻ろうとする。
なにかある。
そう思いながら観察していると、飼い主のベッドと同じ高さの台の上に猫用のベッドが置いてあるのだが、そこに登るためには飼い主のベッドに一度上がらないといけない動線になっている。
ベッドの登ろうとして失敗している。
やっぱりなにかおかしい
考えてみればうちの猫は小さな頃は、グルニエ(屋根裏収納)へと続く急階段に登って遊んでいるような活発さがあった。
15歳を過ぎた頃からあまり登らなくなり、今年は一度も登った姿を見ていない。
そして歩いているのを観察すると壁などにぶつかりそうになって、ようやく立ち止まる。
また自分がどこにいるのかもあまりわかっていない感じだ。
更には餌の場所もわからなくなっているのか、食べに行こうとしない。
ここで思った。
こいつ、目が見えてないのでは――?
年をとると白内障や緑内障など人間にも起こりうる病気を猫も患うことがあるらしい。
観察している限りその線は濃厚のようだ。
奥さんは「老化でボケてるだけかも」とは言っていたが、それにしてはボケてるだけではない。
夜中に起きて鳴くことも増えてきた。
自分のベッドから飼い主のベッドへと上がってきては添い寝して、撫でるのを待機している。
仕方ないので眠りながら手で背中や腰のあたりを軽く叩いてやるとしっぽを振って感情を示す。
まだまだ元気だと思っていた。
けれど違和感ばかりが募る。
そんなわけで、夜に動物病院を予約して、朝イチでいってきたのである。
動物病院
2009年の予防接種以来、家猫ということもあってまったく病気にもかかることなく健康だったので医者いらずではあった。
けれどこんなとき、一応、徒歩10分ほどのところに動物病院があるのは心強い。
車で行くと停めるのが少しテクニカルな要素のある動物病院なので徒歩でいった。
軽い。
うちの猫はこんなに軽かったのか?
到着は思いの他早く、まだ病院のシャッターが降りたままだった。
仕方ないのでキャリーの中で鳴く猫をなだめながらスマホをいじる。
10分程してシャッターが開き、中へと招き入れられる。
診察券をなくしていたのでカルテ番号の記載されている「ねこの健康手帳」を出して一応、診察券の再発行をお願いする。
すでに症例などは予約のときに記述して知らせてある。
「どうぞ」
そう言われて猫をキャリーごと運び、診察台の上に。
お久しぶりです――という挨拶をすることなく、淡々と先生が語り始める。
自分が書いたとおり、やはり老衰による衰えであろうと。
目に強い光をあてても瞳孔の反応はなく目は見えていないだろうとのこと。
更に、年をとると匂いを感知する能力も衰えるため、匂いを感じる力も弱くなっている。
だから餌の場所もわからなかったのか――。
やっと合点がいった。
詳細を調べるのであれば検査をすることであるが、これは飼い主の任意。
自分としては老衰でこのまま生命の灯火消えるとしてもできれば健康なままでいてほしい――との思いから、念のためにこの病院でやれる血液検査とレントゲンをお願いする。
(保険にはいってないので高いのはわかっている)
(大学病院でのMRIも提案されたが遠くまで検査に行く時間がないような気がしていたので辞めた)
先生はその意思を汲み取り、ひとまず検査へ。
自分は待機するだけ。
そして戻ってきた猫は、どこか悲しげな声で鳴いていた。
その鳴き声を聞いて先生が奥から現れ
「この鳴き方をする猫はたぶん耳も聞こえていない」
なるほど。どおりで呼びかけても反応が薄いわけだ。
気づいているようで、いつものことだったのだが、実は既にこの症状は前から起きていたのかもしれない。
いろんなことが腑に落ちていく。
老いるとはこういうことなのだなと。
これが高いのか安いのかは飼い主の心ひとつ。
自分にとってこれからこの老猫と向き合うべきことがわかったという意味で妥当な値段だと感じた。
家に帰ってきて
家に帰ってきてキャリーから猫を解放する。
ここが我が家だ。
生まれた場所は違うけれど、生後2ヶ月で引取り、それからずっとこの猫の世界はこの家だった。
二度ほどベランダから落ちて外に出たことはあったけれど、家の敷地内から出ることなく怯えていた姿を今も思い出す。
あれから17年。
この猫は、目も見えず、耳も悪く、鼻も効かない。
万が一、階段から落ちれば最悪の場合は骨折で即死もありうる。
だからこそ生活空間を限定しなくてはならない。
また食事もトイレも改善が必要になるだろう。
ひとまずちゅーるを差し出すと舐めるだけの元気はまだある。
けれど水は飲みに行けない。
場所がわからないからだ。
(これまで一階に餌場はあったが階段降りを封じたので二階にしたことで場所が認知できていない)
餌やりと水分摂取は経口直接になるだろう。
(先程、床に寝転がってる猫の前に水の入った器を出し、指でならしたところ、気づいたようで器からいつものように飲んでくれたので少し安心している)
トイレの場所は覚えているようでかろうじて行けるが、粗相することもある。
あと何ヶ月――。
何日かもしれない。
けれどそのときまで、この老猫は自分のとなりで寝ている。
その呼吸がとまるときまで、自分もその隣で寝ていることだろう。
長生きしてほしいとはいえない。
猫としてはもう長く生きたほうだ。
願わくば、苦しむことなく、安らかに一生を全うしてほしい。
それが今の願いとなった。
――以上、今日の余談でした。
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