見出し画像

分断

このウイルスがもたらした本当に恐ろしい爪痕は、死や、病や、経済的損失などではなく、分断なのだと気づいた。ウイルスとそのウイルスがもたらす感染症の恐怖が、人と人との間に明らかな溝を穿った。

例えば感染症への意識の差。人類史上で最悪の感染症であると論者が断じる一方で、「コロナはただの風邪だ」とマスクを取り去りシュプレヒコールを挙げる人がいる。国や自治体が定めた「酒の販売は停止」に従い、酒を仕舞う居酒屋がある一方で、我関せずと酒を提供し続ける店がある。「外出禁止、ステイホーム」「イベントは5,000人まで」と政府が声を上げる中、従う人がいて、無視する人がいる。運悪く感染し発症した人への中傷も、排斥も。医療現場の最前線で戦う医療従事者や家族への心ない言葉も、差別も。ようやくやってきたワクチンを、害のあるものだと考える人も、この世の希望だと考える人も、発症や重症化を予防するだけのものだと考える人もいる。政府の支援金・補助金・協力金、それらの仕組みで助かる人、助からない人、むしろ儲かる人、支援すら受けられない人。家族と触れ合うことも、直接会話を交わすこともできない人。愛する人と、永遠の別れになった人。

手と手。心と心。同郷や、世代や、同業や、仲間や、家族といった、これまでのつながりの輪がことごとく断ち切られ、分解され、ばらばらになった。これが、このウイルスがもたらした本当に恐ろしい爪痕なのだと思う。

もしかしたら、私たちはこのことを試されているのかもしれない。どのケースも、ウイルスがこれまで見えなかった差や違いを炙り出した。科学的な視点や、論理的な理解力や、政府や自治体への姿勢や、ルールの考え方・捉え方。さまざまな場面で「ああ、この人はこういう人なんだ」とお互いがお互いを心の中で蔑む。例えばマスクを正しくしているかどうか一つだけで、レッテルを貼る。そんな小さな積み重ねが、私たちの関係性を変質させる。つながりを分断する。

ウイルスに蹂躙されたわたしたちの暮らし。この分断を経て、再度わたしたちは手に手を取り合えるだろうか。手を取るべき隣人は、何もかも自分と正反対かもしれない。けれど、愛し、尊敬すべき隣人なのだと思えるだろうか。分かり合うことを忘れてしまったのなら、その時点できっと、人類は敗北だ。

誰もが一人では生きてはいけない。気の合うイエスマンばかりの世界もない。そんな「あたりまえ」をあらためて聞き・見て・知ったうえで、本当の意味での連帯・団結に到達しなければいけない。分断を、つながりへ。人類は、負けない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?