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代償

阪神大震災が起きて、建築物の耐震強度の見直しや、防災用品の備蓄への心得が変わった。自衛隊派遣の迅速化が図られるようになった。

1999年に東名高速道路で事故が起き、家族連れの車に飲酒した運転手のトラックが突っ込んで、飲酒運転の厳罰化が図られるようになった。

2006年に駐車監視員制度が始まり、違法駐車を民間が取り締まるようになったのも、路上駐車に阻まれ、救急車や消防車といった緊急車両が目的地に達することができない事象が数多く起きたからだ。

阪神大震災では6,434人が亡くなり、東名高速飲酒運転では幼い姉妹2人が亡くなり、路上駐車に起因する緊急車両の遅延は数知れず、一昨年にもこの遅延と関連して可児市の清水ヶ丘団地の火災で3人が焼死している。

変化の代償は、いつも大きいと感じる。

安倍晋三元首相の銃撃、死去。

リンカーンやケネディが殺されてアメリカが要人警護を追求し始めたように、日本でもセキュリティポリスの実践的なシミュレーションや訓練・運用が始まるのかもしれない。

悪質な宗教団体へのさらなる捜査や、被害を受けた本人や家族への支援、マインドコントロールへの対策、さらには宗教と政治・集票といったいびつな関係性に大きく変化が起こるのかもしれない。

個人的にも、今回は特に大きなショックを受け、手ひどくやられたと感じる。驚きや混乱、無念や悲しみが渦巻き、これからの未来に漠然と不安を覚える。そこで「この事件を受け、どこかの誰かが、きっと良くしてくれるはず」と思考停止をして、目の前のことにフォーカスするのは簡単だけれど、それではダメなんじゃないかと思っている。

血が流れないと、人は変わらないものなのだろうか?

痛みにしか反応・学習をしないのであれば、俺たちは節足動物となんら変わらない。そうではなく、起きたことを読み解き、分析し、他人事ではなく、自分事として考えること。

さまざまな事象がつながり、積み重なり、物事は起きるのだということを知ること。

血を流すことなく、学び・実践し・活かし・善くする。それを目指し、日々を生きること。

それが残されたものにできる、せめてもの手向けだと思って。

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