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ロック好きの私が、ヘドバンしすぎて網膜剥離になった話。

普段ノートにて、大好きな喫茶店や旅行先などで出会った喫茶店についての記事をだらだらと綴っている私。2019年を迎えるとともにフリーライターとして活動を始め、現在はいくつかの企業とお仕事をさせていただいている。

先日、とある会社の方との打ち合わせの中で、好きな音楽についての話題が持ち上がった。その方は生粋のバンド好きで、私もその昔ロックやハードコアを愛していたので、仕事の話よりも盛り上がってしまった。

話の中で「私、昔ヘッドバンキングしすぎて網膜剥離になったんですよ。ヘドバンって怖いですね~」と発言したところ、「そんなヤバいことがあったんですか!?」と驚かれた。そして、それはぜひとも広めた方がいいと言っていただけたので「たしかにこれは有益な体験談かもしれない…」と思い、この度記事を書いた次第。

ロックに陶酔していた若き日々

高校生の頃からロックミュージックにハマりだした私。この年齢にありがちなことだが、流行りのポップミュージックを聴いていたクラスメイトとは違う音楽を愛することがアイデンティティと化していた。「音楽ってうるさいほうがカッケェ」と本気で思っていたし、単純に今までなんとなしに耳にしてきた音楽とは異なった構成、メロディ、サウンドに私は衝撃を受け、こんな音楽に出会えた自分のことを誇らしく思っていた。

10代から20代前半にかけてもっとも愛したのは、アメリカのハードコアバンド「the used」。来日ライブにも何度か足を運び、ボーカルのバートのご尊顔を近くで拝むべくステージの最前列を陣取っていた。

ロックバンドのライブはさながら地獄の無礼講。人の波をサーフィンするモッシュの重みを首で受け止め、身体中で知らない人々の拳や体重や汗を受け止めながら、私自身も知らない誰かの肩をつかんで飛び上がったり、頭をふり乱して奇声を発していた。ライブのあとは覚えのない傷や痣が絶えなかったが、それすらも私にとっては感動的な経験だった。

大好きなバンドの大好きな演奏を生で見られるのは本当に幸せだったし、自分自身、というよりそこに集まる人々がみんな野生に解き放たれるような、とにかく音楽を感じたままに何を考えるでもなく身体を動かせることが、これまでの人生で出会ったことのない大きな悦びだった。ステージ上から吐かれたバートの唾を浴びながら、私は「バートに唾かけられた!イェーイ!」と大はしゃぎしていたのだった。

好きが興じて始めたバンド活動

そうしてロックミュージックと無礼講ライブを愛したまま成人した私。

ところが、短大を卒業すると同時に就職した会社は、週休1日、朝から終電までの激務でライブどころではない。初めての社会人生活で弱っていく身体、そして荒んでいく心。「私は自分の人生をこの仕事に捧げてしまうのか?」「私はこんなところでこんな仕事をしていたいわけじゃない」不満はふつふつと湧きあがり、あるときこんな想いが芽生えた。

歌いたい…フライリーフのレイシーのように、エヴァネッセンスのエイミーのように…!

当時の私の仕事は受付営業。お客様に不信感を与えないようビジネスライクな服を着て、清潔感のあるメイクをし、どんなときでも口元に笑みをたたえていた。若干二十歳の私は己の個性を抑え込まれ、貴重な二十代の時間を搾取されることに耐えられず「私、ロックバンドのボーカルになる!」というあまりに青い決意を固める。私は2年目で会社を辞め、バンド活動中心の生活を送るためにフリーターとなった。

目指すのは当然、フライリーフやエヴァネッセンスのような、女性ボーカルでありながらハードなサウンド、オルタナティヴなメロディラインのロックバンド。さまざまなSNSや掲示板を駆使して女性ボーカル募集中のバンドを探し、ようやく音楽性の合いそうな人たちを見つけた。ギタリスト2人、ベーシスト1人、ドラマー1人、私以外全員男性のラウドロックバンドだった。

今思い返せば、か細く大して声量もない私の歌声はハードなバンドサウンドとの相性が良くなかった。本格的にメジャーを目指していたメンバーたちも私の歌声に度々苦言を呈していたが、私自身は大満足だった。望みどおりのバンドに加入し、愛するサウンドの中で歌えるようになったのだ。重々しいサウンドの中で私は好きなように身体を、というより主に頭をふり乱していた

もちろんバンド活動は好きな音楽に浸れる喜びだけではなく、ライブのチケットノルマやスタジオ代といった金銭面の厳しさや、ライブを訪れる人々からの苦々しい反応など、つらいこともたくさんあった。それでも私は「音楽が一番好きだから」と思い続け、アルバイトをいくつも掛け持ちしながら活動費をなんとか捻出し、ステージ上で思うさま頭をふり乱していたのだった。

バンド漬けの日々に青天の霹靂。視野欠損の発覚

ある日、自宅で姉と共にアニメのDVDを鑑賞していた私。感動的な内容に涙した私たちは、タオルで顔を拭いながら作品を称賛し合った。

しかし、なぜか涙を拭っても拭っても視界が涙でぼやけたまま。下まぶたに涙が溜まっているように、視界の下の方が波打ち、目の前の姉の輪郭が歪んでいたのだ。「お姉ちゃん、私、目が変」と言うと、姉は「お姉ちゃんは目医者じゃないのでわかりません」とピシャリ。仕方なくその日は眠りに就き、翌朝目覚めると視界の水たまりは消えていた。

「昨夜は変なことがあったなあ」と思いながらフードコートのアルバイトへ出勤し、ふと厨房で左目をとじてみた。すると、両目で見ているときよりも視界が狭いような気がした。驚いた私は今度は右目をとじ、左目だとどこまで見ることができ、右目だとどこまで見えるのかを確認してみた。何回かそれをくり返してみた結果、右目の視野が4分の1程度欠損していることに気がついたのだった

このように説明すると、「じゃあ視界の一部分が暗くなっているってこと?」と訊かれたりするのだが、そうではない。右目だけ見える範囲が狭まっているというのだろうか。モニターに例えるなら、左目のディスプレイと右目のディスプレイのサイズがそもそも違うような感覚である。両目で見ているときは右目で見えない部分は左目によって補われているので、日常生活の中で気付くことができなかった。

↑これを左目の視界及び両目での視界とするなら、

↑右目のみの視界はこんな感じだったのである。

突然の視野欠損の発覚に驚き、声に出さずにはいられなかった私。隣のフードコートでラーメンをゆでていたベテランアルバイトのおじいさんに、「〇〇さん、私、右目がちょっとだけ見えなくなってる」と言うと、おじいさんは目を大きく見開いて、それは大変だ、と言った。

藤間ちゃん、それは網膜剥離といって、失明する病気だよ。明日すぐに病院に行きなさい

そう言われた私が、その後どうやってアルバイトを終えたのかはわからない。その晩眠る前に、大丈夫、大丈夫、そんなことが私に起こるはずがない、と思ったことだけはよく覚えている。

一刻を争う網膜剥離の病状と、即日の手術

7月のはじめのよく晴れた日だった。梅雨が明けていよいよ暑くなるなあ、なんて思いながら病院へ向かったのに、診察室は異様に暗く、お化け屋敷みたいに涼しかった。

「残念ですが」とまず言われた。続けて、「右目の網膜が破けているんです。このままだと失明してしまいますので、すぐにでも手術しなければなりません」と告げられた。検査のために瞳孔を開く薬を投与されていたために、視界全体がぼやけてふくらんで見えていた私からは先生の表情はよく見えず、ただ恐怖で涙がぼろぼろと流れ落ちた。

「仕事のシフトがあって、あと、バンド活動をしているんです」とナースさんに伝えると、「しばらくは難しいです。長い期間の治療が必要になると思います」と答えられ、私は絶望した。フリーターの私に治療費を賄えるほどの貯金は無論なかったし、何より、バンドを辞めなくてはならないかもしれないと思うことが恐怖だった。

健康な身体で趣味を謳歌していた日々を失う恐怖、失明してしまうかもしれないという恐怖、手術に対する恐怖。病院を出ると外の空気はむわりと暑かったのに、私の腕には鳥肌が立っていた。涙を流したあとだったので、右目の視界にはやっぱり水たまりができていて、太陽の光が反射してまぶしかった。

翌日、紹介状を書かれた大学病院で再度診察を受けた私。「手術が必要なほど進行していないのでは」という一縷の望みは打ち砕かれ、「今からすぐ手術します」と告げられた。なぜなら既に私の視野は欠損しており、このまま進行していけば視界のすべてを失うことになるからだ。

ちなみに、もっと早くに目の異変に気がついていればレーザーで目の一部を焼く手術のみで済んだらしいのだが、私は眼球にシリコンを巻き剥離している部分をくっつけるという『バックリング手術』をしなければならなくなった。先生の説明によれば成功率は80%ほどで、手術しても20%の人は失明してしまうという。

「大丈夫よ。きっと成功するからね」と、私をと言うよりは自分を励ますように言い続ける母に、「バンドメンバーに電話をかけたい」と頼み、全身の検査から手術までの短い時間でリーダーへ電話をかけさせてもらった。「ライブ出れない。手術するんだって」と言った私に、リーダーは「了解。待ってる。がんばって」と声をかけてくれた。私は手術に成功しきっとまたステージで歌うと約束し、手術室へと向かった。

長すぎる療養期間と、片目のミュージシャンたち

全身麻酔を投与されていたことにより一切の記憶がないが、手術は予定よりも長く2時間に渡って行われた。もともと麻酔が合わない体質らしい私は術後激しい吐き気と頭痛に襲われ、おまけに酩酊状態のように意識が混濁していた。全身麻酔については本当に個人差があるようで、同じ病室には私ほど麻酔への拒否反応に苦しんだ人は誰もいなかったのだが、ともかく私は術後2日間ほど体調不良に苦しむことになった。

しかし、麻酔への拒否反応がすっかりすむと、右目のやんわりとだるいような痛み以外には特に体の不調もなくなっていた。とはいえ網膜剥離の術後は目の状態が安定していないため、転んだりぶつけたりといった衝撃により再発する可能性が高いのだという。そのため、私は3ヶ月もの長い期間、ベッド上安静を守らなければならなくなった。

入院は2週間弱ほどだったが、退院後も自分の部屋から出られないというその事実に、私はすっかり打ちのめされてしまった。バンド活動もできなければ、友達と遊びに出かけることもできず、それどころか愛犬の散歩すらもできない。自分が日常からも世間からも疎外されているように感じ、これまでの自分の生活がいか恵まれたものであったかを痛感した。

療養中、SNS上で友人たちが楽しく過ごしているのを見るのがつらくなり、TwitterもFace bookもアカウントを削除した。友人が心配の連絡をくれても、曲がった解釈をして「馬鹿にされてる」と感じることもあった。ひとりぼっちの部屋の中で、私を救ってくれたのはやっぱり音楽だった。

今まで好きだったバンドの音楽を聴くことは、現在の私にはこんなパフォーマンスができないという卑屈な考えに繋がり、徐々に少なくなっていった。片目を失ってもバンド活動ができるのかと思い悩むうちに、目が見えなくても活動しているミュージシャンの音楽に惹かれるようになったのだ。

たとえば、シガーロスのヨンシー、レディオヘッドのトム・ヨーク、そしてデヴィッド・ボウイ。いずれも、片目の視力をほぼ失っているミュージシャンだ。片方の目が見えないことは、彼らの才能に何の支障も来していないように思えた。見た目で言ったって、ヨンシーの義眼も、左右差のあるトムの目も、ボウイのオッドアイもむしろミステリアスで美しい。それらは彼らの個性で、唯一無二の魅力だと感じた。

偉大なミュージシャンの存在に励まされ、たとえこの右目の視力を完全に失っても、それは自分の個性なのだと受け止めようと思えるようになっていった。こんなことで音楽を辞めるべきではないのだと。

網膜剥離に完治はない

3ヶ月のネガティブ療養期間を経て、ようやく「シリコンが眼球にくっついていることが確認できたので、外出しても大丈夫!」というお達しを先生から頂き、日常生活へ戻ることができた私。シャバの空気はうめぇ、うめぇよ…

その後も月に一度の通院があったり、外出時には転ばないよう杖を持っていたりしたのだが、結果として手術から5年経つ現在まで再発は起こっていない。しかしながら、この先も私が怪我をしたり、頭に衝撃を受けるような出来事に遭遇したりして網膜剥離を発症する可能性は大いにあるし、そうでなくとも失った視野や手術によって落ちた視力は二度と戻らない

そもそも網膜は再生することがない。一度剥離してしまったら、その剥離がこれ以上拡大することを防ぐほかにはどうすることもできないのだ。だからこそ、それを食い止められずに失明にまで陥る恐ろしい病気なのである。

ヘッドバンキングは病気を引き起こすのか?

網膜剥離の原因については、もともとは「不明」とされていた。網膜には個人差があるし、自覚症状が出るまでに時間がかかるため原因を突き止めることが難しく、「これが原因」と断言はできないそうなのだ。

主にボクサーやプロレスラー、球技の選手などが目などを負傷した際に発症することが多いと言われているのだが、もともと網膜が弱く裂傷を起こしやすい人もいるとのこと。私は左目の網膜も丈夫ではなく、先生いわく『網膜剥離になりやすい体質』なのだそう。めっちゃ嫌。

とはいえ、左目の発症を防ぐためにも剥離の直接的な原因を突き止めたかった私は、なんらかのヒントを得るべく自分と同時期に網膜剥離になった人をネットで探していた。すると、私と同じくらいの時期に網膜剥離の治療をしていた人たちの中に、某国民的アイドルグループのメンバーと、ヴィジュアル系バンドのドラマーがいたのだ。

この話を担当の先生にしてみたところ、「ダンスとかパフォーマンスで、首や頭に衝撃を与えると発症することもあると思う」との回答!そういえば、再発防止として常に「転んだり、頭を揺らしたりは絶対にしない事」と言われていた。首や頭の衝撃が網膜に影響するかもしれないなんて、まさに寝耳に水である。私には、自分が激しく頭をふり乱していたことが原因のように思えてならなかった。

「私、ヘッドバンキングが原因で網膜剥離になったのかもしれません」と担当の先生に話すと、「っていうかヘッドバンキングには網膜のほかにも首や脳に負担を与えているし、音楽の楽しみ方として本当にリスキー」と真顔で指摘された。近年では有名バンドマンもヘッドバンキングにより身体に不調を来し、音楽活動を休止せざるを得なくなるというニュースがあったが、先生の言うとおりヘドバンは音楽の楽しみ方としては間違っているのかもしれない。大好きな音楽を楽しむ際にとった行動が、大好きな音楽と自分を遠ざけてしまっているのだから。

とはいえ、ヘドバンをしたら全員が某ドラマーのように頸椎椎間板ヘルニアになったり、私のように網膜剥離になるわけではない。何度も言うが人はそれぞれ体質が違い、ふだん生活しているだけでは確認できない網膜にまで個人差があるのだ。「自分は病気にならない」という自信がある人や、「病気になっても構わない。この瞬間を楽しみてぇ!」という人は、もちろん自己責任でヘッドバンキングを楽しむべきだろう。

ただしこれだけは覚えておいてほしい。もしもあなたがヘッドバンキングにより病床に臥しているそのとき、たとえばめったに来日しないアーティストが来日したとしても、あなたはライブに参加することができないのだ!!!バンドマンはすぐに辞めたり捕まったり死んだりするというのに、彼らのパフォーマンスをその目でみられる貴重なその機会を、己のヘッドバンキングのせいでみすみす逃してもいいのだろうか?リンキンパークもロストプロフェッツもチオドスもこの目で観られなかった私は、そうは思わない。

音楽を楽しむために、身体を大切にしよう

めちゃくちゃ長くなってしまったが、結局言いたいのはこれ。とかくロック界隈には危険な行為こそロックである的な文化があるが、それによって大好きな音楽を楽しめなくなるのはちっともロックじゃない。

今でも私はロックバンドのライブを見に行くし、頭に衝撃を与えない程度に身体を揺らしたりもするが、またこの最高の場に戻ってこられるように、健康を脅かすような行為はしないことに決めている。


余談だが、網膜剥離の治療が終わって半年ほど経ったころ、私はバンド活動を辞めた。もちろん理由は病気のせいではなかったのだが、長い療養期間で音楽の趣味が変わっていったのは大きいだろう。ちなみにあれから5年経った今、私が最も愛するミュージシャンはマイケル・神・ジャクソンである。

(完)

※網膜剥離についての説明及び知識は、すべて2014年時点で手術をした経験を元に培ったものです。あくまで素人目線、5年前の情報ですので悪しからず!

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