平成書生気質

一生、書生。

最近、複数の友人と共通して盛り上がる話題がある。
―――
-社会人になってからの方が、何かと勉強してるわ〜。
-私も。人間、ずっと勉強だよね。
-ていうか、いっぱい勉強するから、誰かお金くれないかな?
-俺も思ってた!そういう世の中になったらいいよね〜!!
―――
勉強家、学び欲の高い人たちに囲まれて、嬉しいかぎりである。
そう、学ぶことでお給料がもらえるような、そんな世の中にならないものか…。
某クイズ番組のように知識量と閃きで順位付けされる制度下なら、同世代の平均年俸以上をもらえる自信はある。
(TV越しに「私を出せー!」と訴えることもある)

学ぶこと自体が仕事にならないか。
その質問をそのまま、ハローワークでぶつけてみたことがある。
鼻で笑われた。
 チッ、聞く相手を間違えたぜ…
 この人たち、毎日楽しいのかしら…
めげずに人を変えて聞き続ける私に、中には真摯に耳を傾けてくれる人もいたが、申し訳なさそうな表情で
「ここでは“働きに行く”ことを前提としたご紹介しかしていないので…」
したり顔でこんなことをいう相談員もいた。
「頑張って大学院に入って、教授でも目指されたらどうですか〜?」
そんなもの、とっくに考え済みだわ。
自分の好きなジャンルを、自分のペースで徹底的に学びたいのだ。ただただ学びたいのだ。となると、人に教える時間がもったいない。やる気のない学生の相手など御免である。自分でなくても務まるような諸般の業務に忙殺されるのも御免だ。そんな虚しさは塾講師時代に十分過ぎるほど経験済みなのである。
文系で研究員というのも、なかなか見当たらない。理系と違って実験等もないから助手を置くことも殆どないし、昔のように弟子をとることも最近ではみられない。
学術という環境に身を置くだけなら事務員で入るという手もあるが、それでは元の木阿弥…

そんな逡巡を長らく続けたのち、ふと閃いた。
「作家という仕事があるではないか…!!」

書生という言葉には主に三つの意味があって、
もとは
① 経文などを書き写す人
そこから派生して、
② 学業を勉強する時期にある者
少し時代が下って、
③ 他人の家に世話になり、家事を手伝いながら学問する者
作家、つまり物を書くことを生業にすれば、そのために堂々と勉強ができ、好きなことで楽しみながら対価をもらえる…!!

同じ文筆業を志している人でも、単に「私、小説家志望です!」がなんだかイタく聞こえるのは、書いて一発当ててビッグになる!的な野望が見え見えだからではなかろうか。渡米するしないで話題になった某芸人を相方の作家先生が「良い意味でイタイ」と評価したように別にそれでもよいのだが(作家先生にもそのフシはあるし自分も傍から見たらそうだと思うし)、その点、学ぶが主眼で書くがその産物、という人物には大いに共感する。

私は何度でも大学生をやりたい。学生時代は中古(平安時代)文学が専門だったが、文学を学ぶにはその前の時代の文学と時代背景を熟知していないと、充分な理解を得られない。王朝文学を読み下すにあたって、引き歌の元ネタ…つまり万葉集が頭に入っていないと太刀打ちできないし、古代の文章が読めない、歴史に詳しくない、なんてのは致命的なのである。だから改めて、上代(飛鳥・奈良)から、そして文字が生まれる前からの学びを総ざらえしたいのだ。他にも、神道や仏教といった宗教学、日本の思想史や民俗学、伝統芸道の数々、芸術学、さらには、女性教育、東洋医学、栄養学、生涯学習…学びたいことは山ほどある。それらを総合して、学際的な学びに広げたい。そのために大学院に行くのもいい。その学びの成果を、学ぶこと自体の喜びを、子どもたちに伝えたい。それを書いて、遺して、後世に伝えていく。立派な働きだ。国や自治体から“給料”をいただいてもよかろう。

平成書生気質。 学びの原点に還ろうではないか。

では、ちょっと逍遥してきます。


よろしければサポートお願いいたします。いただきましたサポートは、ますますのスキルアップとその還元のために大事に使わせていただきます。