占いとの相対し方が左右するもの

占いというものを頭からバカにする人がいる。

はじめにお断りしておくが、私は占術協会からの回し者でも、最近流行りの占いライターでもない。

私の著作 では ちょくちょく 占いや占術についての記述がある。若かりし迷走時代や、闘病中「治った暁には」とやたら使命感に燃えていた頃は、占い師を目指すことも本気で考えた。

占いと一口にいっても、あれは統計学である。
だから血液型より誕生日、誕生日より姓名判断といった具合に個人を特定できる要素であればあるほど詳しく占えるのは当然だし、それらを組み合わせればより詳細に行動指針や未来予測を割り出すことだってできる。
つまり、きちんと学術化された占術ならば立派に人の指針となるのであって、Web上で無作為に出てくるような気休めの、恋愛至上主義の女性を主にターゲットにする逞しい商売とは、一線を画す。

以前、ある男性に(うっかり)
「もしかして、◯型〜⁈」と言ったら
「オマエ、血液型占いなんて信じてんのかよ?バッカじゃねぇの⁈」と即座に返ってきて、しまった、言う相手を間違えた、(しかも、いかにもバカ女といった言い方をしてしまった)と、食い気味に猛省した。
母数が多すぎて最も粗削りな血液型占いだって、おおよその傾向を割り出すことはできている立派な統計学である…という理論が通じるような相手ではなかったからである。つまり、声も態度もデカイが極めて典型的な小者だったのだ、その男は。

事実、社会的地位の高い人物ほど占いを重要視して日々の指針としているし、もっと言えば、ノーベル賞を獲るぐらいの人物ほど、スピリチュアルな世界をなんの疑いもなく信じている。…というと前述の内容と矛盾すると思われるかもしれないが、占いにスピリチュアルな(という言葉だけが日本で独り歩きしてブームになっている現状もどうかと思うが)要素を持ち込んだり期待したりするのも自然なことであって、人間ならば、特に日本人ならばすんなりと受け入れられる事象であるはずだ。

現に日々のお参りや祈りを欠かさずに、自分がいま生きているということへの感謝を欠かさずに、愛というものを心から信じている人ほど、占いという指針をすんなり受け入れられる。その「芯」が揺るぎない「真」であればあるほど、変なものに騙されずに好循環を生む、というわけだ。

つまり、見えないものを信じられる人ほど強い。

見えない力を疑わない人ほど成功する。

そういう話である。


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