わりと大きめの苦悩

書くのが楽しい。 もっと書きたい。

占術なんかでも私には書くことが向いている、と言われることが多くなって、調子づいている。 最近は久々に本気を出してもいる。

ただ、女には色々することがある。なんて、若かりし頃の宇野千代女史風に愚痴を言ってみたりする。

起きて顔洗ってすぐ出かけられるわけじゃないし、洗濯物もアイロンがけも油断すればすぐ溜まる。毎日一定量の洗わなければならない食器が出る。以前、「家事をしない手ねぇ」と言われたことがあるけれど、年若の女を見れば二言三言チクリとしなければ気が済まない年増の性だったのだろう。「家事をしてるけどケアもしてる手ですよ」と反論するのは、本能的にやめておいた。

掃除をサボればアレルギーが顔を出すし、お料理の幅だって広げたい。井戸端会議に参加するのは趣味じゃないけれど、ご近所の奥様方の小言に後々のことも考えて付き合わなきゃならない場面もある。服と靴と鞄のバランスなんて気にしはじめたらきりがないし、買い物では少しでもオトクな気分に浸りたい。

春には花の、夏には陽射しの、秋には創造の、冬には憂いと温もりの香りを、嗅ぎに出掛けたい。あの人との時間をいかに楽しく過ごすかを考える機会も設けなければいけない。最近はお菓子作りもお裁縫も将棋も塗り絵も折り紙も遠のいてしまったことに気付いてフラストレーションを自覚する。おまけに資格だ検定だ勉強会だで自縄自縛なフシもある。

この手で作り出したいものは文学だけじゃない。種々の野菜や花々、ジュースに果実酒、つまみ細工に水引細工、お茶にお茶菓子、写し取りたい日々の瞬間…

女には、日々、することがある。それは実家暮らしの独身者でも同じこと。まぁ、99%外食のあの娘やカジるスネは親だけではないあの女はどうだか知らないけれど。世間の、特に実家から出たことも出ようと思ったことすらもない若いオトコの勝手な想像とは、あまりにも違うのだ。彼らは実家暮らしというだけで家事はすべて母親任せの何もできないオンナ――つまりそのオトコと同じ種別――だと決めつけ、スーパーのお惣菜コーナーをお袋の味と豪語する大酒飲みのオンナ――独り暮らしという環境だけがオトコにとって都合の良いオンナ――を家庭的だと褒め讃える。そして、家庭的なオンナを求めていながら、いざ生活感を嗅ぎ取ると嫌気がさすのだという。じゃあアナタはどれだけ垢抜けた生活をして公私物心ともにどれほど充実した日々を送っているのか、詳らかに見せていただきたい。それでいて健やかなるときも病めるときもなんて誓う日を夢見ているというのだから、ちゃんちゃらおかしい。

好きなことして生きていきたい。ただ残念なことに、好きなことだけしていられるほど世の中うまいことできていない。

目の前のことを好きになればいい。隣の人を愛せよ。そうは言うけれど。そんな簡単にいくものか。ポジティブすぎる人間は害だと思う。見ていて辛いもの。ポジティブを人に押し付けたり自身のポジティブの崩壊を人のせいにし始めたら、もう、どうしようもない。ポジティブを謳っておきながらネガティブの芽を飛び火させてどうする。

好きなことをするなら引き換えに嫌なことを引き受けよ、ともいうけれど。これは我慢料だ、なんて言う人だっているけれど。あいにくそこまで聞き分けが良くないのだ。こんな大人になってるって、少女だった私は予想できたろうか。

ああ書きたい。 とにかく書きたい。

書けばいいじゃないか、ただそれだけなのだが。


よろしければサポートお願いいたします。いただきましたサポートは、ますますのスキルアップとその還元のために大事に使わせていただきます。