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四国の風③(過去ブログ記事転載)(2005年12月)

今から25年ほど前。19歳の夏と20歳の夏の2回に分けて、四国八十八箇所を歩いて回りました。43日間。自分の人生の基点になったとも言える一人旅。過去のブログ記事にも残っていますが、こちらにも念のため、お遍路を回りながらつけていた日記を、アーカイブとして残しておこうと思います。誤字脱字もありますがそのまま掲載しておこうと思います。


「2019年3月16日」の日記

次の目標は第六十六番雲辺寺であることは周知である。
四国八十八箇所の寺の中で最も高い場所に位置している山である。
ちょうど愛媛県と香川県と徳島県の県境に位置している険阻である。
すでに、横峰寺を踏破していたので難関といえる場所はその雲辺寺くらいであろう。その山をあさって登れるように今日はその山のふもとまで少しがんばってみることにする。幸い、足の状態もすこぶる良くて、いたみもほとんど感じなくなっていた。足が旅にやっと慣れてきたのであろうか。

快調に進むことが出来た。雨も収まっており、気分良くすすめることができる。この季節は暑くてもなくてしかも寒くもない歩き遍路にとっては一番良い季節ではないだろうかとも思う。六時半に日吉屋を発って、三角寺についたのは四時頃であった。三角寺までの道程は途中まではずっと延々と平坦な道で一定のペースを保てばどんどんと距離を稼げるのであるが、伊予三島という地名のところをすぎたら、山道に入る。半端な坂道ではない。この坂は坂というよりも、なにかゲームで登場するかのようなそんな坂道である。もちろん、遍路道に入るとさらに傾斜はまして行き、杖を突いてようやく這い上がることができるほどである。とにかく三角寺に着くことが出来た。

第六十五番三角寺。
一度この寺に足を踏み入れたならその寺の広さと伸びやかさに驚くことであろう。寺の中には珍しく人影ひとつ見えずにその寺の広大さをもてあましているというよりか、その静寂に幽玄さを感じさえする。寺の住職の方は、大変愛想が良くて、気を使ってくださる。

納経所で道を尋ねる。その寺を後にする。
道を進むにつれて、不思議な気持ちになってくる。
自然の摂理というか、自然の中を駆け巡る運命というか、時間や空間を越えた潮流がどんどん自分の中に入ってくるような変な気持ちになり、それが内化されて自らがその自然の一要因として構成されてきているようなそんな気持ちである。人は自然の中に生まれて、そして死んでいく。すべての人の存在は、まるで夢のようでありそこに存在しているのはただ、その観念が支配する人間という虚構を纏った自然のひとつの物質に過ぎない。自然の潮流は変わることはなく、人の存在はその流れの中で振り回されて、あるいは振り落とされるのであろうか、翻弄されてやがて水泡に帰していく。
浅はかな観念が衝突しあうのであるが、実はそのパワーさえも、時間や空間を超えた超越した存在によって支配されていることに人間は気づいていないのかもしれない。

道を突き進むと景色がいいところに出ることになった。
前方には連なる山々が見て取れる。道がそちらのほうに伸びていっており、この道がその山に繋がっていっている様子が肉眼に認知することができる。さらに進んでいって、一人の歩き遍路の方に遭遇した。

足を相当に痛められているようだ。足を引きずっており、歩くこと容易ならぬ境遇である。痛み止めの薬などを飲んで歩いてられるらしくてこの足では、雲辺寺を超えることはできないと思えた。横峰寺を下る時に、調子に乗って飛ばしてしまって足を傷められたらしい。

その気持ちは痛いほどわかる。あの横峰寺を超えた時、誰もが喚起を表してしまうのは当然だろう。しかし旅は終わるまで一度も気を許してはならない。自分はその自らの弱さと自然の偉大さを前回のたびで痛いほど思い知らされていたのが幸いしたのだろう。ここにきて足の調子はよかった。
その方が前方のほうを指して言った。
あの前に見える山の中で一番高い山が雲辺寺の山であるという。
なるほど、あの山がそうなのである。
遥かかなたに感じられるその山に自分は明日登るのだ。
不思議に気持ちがわくわくしてくる。こんな風に目の前にハードルを見てしまうといつもそれが恐ろしいものであったも、挑戦したくなるのは人間の性なのであろう。今までに、少ないながらも試練というものを乗り越えてきたのであるが、それを乗り越えるたびに自己満足という形でその記憶が心に閉じ込められて自分の体の一部となって、生きていく力を与えてくれる。
それが旅なのだ。

車が多い道の脇を通っていって、県境にその方と一緒に到着した。
アイスクリームを接待していただき、その方も自分ひとりではもう進むことができなかったが、話をしながら足の痛みを和らげて歩くことが出来て、よかったと感謝してくださった。
伊予柑を購入して実家に送る。そこからすぐに今日の宿の民宿岡田屋についた。時間は夜の8時頃になっていたが、そこの方は丁重にもてなしてくださり、風呂を頂いた後に、ご飯を頂き寝ることにする。いっしょに歩いてこられた方と少し話す時間があったが、その方は自分と息子の自慢話をするばかりでその会話は虚栄心に満ちていた。権威主義の塊のようなそんな人を見ているとこの人はいったい何のためにこのたびをしているのだろうと疑ってしまう。この旅も所詮はその虚栄心を満足させるために行われているのであろうし、そう思ってくるとこの人と一緒に歩いた時間が羞恥心で焦がされていった。

ここの宿主の方は相当、猜疑心が深くて、今日一日で自分としては旅のひとつの目的であった、人間の性悪性について確信を持つように至ったのである。


◇筆者プロフィール
藤井哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/SOCIALX.inc 共同創業者
1978年10月生まれ、滋賀県出身の45歳。2003年に若年者就業支援に取り組む会社を設立。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地域課題・社会課題に取り組む。2020年に京都でパブリック Xを第二創業。2021年から東京でSOCIALXを共同創業。
京都大学公共政策大学院修了。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。著書いくつか。
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