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日本の貧困――昭和・平成・令和――

気鋭のルポライター、中村淳彦さんをお相手に千駄木の往来堂書店で催したトークイベント。なかなかの盛況で無事終わった。

仕事帰りのビジネスマンをはじめ、地元コミュニティで福祉活動をされてる方々などを聴衆に日本の貧困のこれまでと、現在、そしてこれからについて話をした。

豊富な取材経験にもとづいた中村さんのお話は、やはり貴重なものばかり。その中でも、最新の取材の話は興味深かった。

行政による公的な支援を当てにできない北関東の女性たちが結託して行う売春の話だ。生活を防衛する為のその行為が、コミュニティでの所得の再配分機能を果たしているという。たとえば、あるコミュニティで最も所得の高い工場の所長を相手に非正規雇用の貧しい既婚女性が仲間の女性たちの協力の下で売春を行っている。さながら、公的なセーフティーネットが機能していない状況で、自発的に形成されたコミュニティのセーフティーネットとでもいえようか。

中村さんの話を受けて頭に浮かんだのがポランニーの『大転換』。まずは平成の貧困が新自由主義の帰結であることを説明した上で、『大転換』のテーマの一つ、市場経済による社会の破壊と、その破壊に対抗する社会防衛のダブルムーブメントの話をする。前近代の地縁・血縁からなるセーフティーネットは、19世紀に社会が市場化されていく過程で破壊される一方で、社会保障が安全を失い剥き出しにされた人びとの生活を守るための新たなセーフティーネットとして制度化されていく。これが19世紀から20世紀中庸にかけてのダブルムーブメントだ。そして、70年代以降の新自由主義のもとで開始されるダブルムーブメントの新たなサイクルの話へ。

新自由主義によって、雇用を基礎にした社会保障というセーフティーネットは機能不全に陥り、規制の撤廃と民営化によって再び社会は市場に支配されてしまった。すなわち、福祉国家の下で社会の内部に埋め込まれたはずの市場が、再び社会から自立し、社会はまたもや市場の原理の下に置かれた。その結果、人びとは販売のための商品に過ぎなくなった。こうして、『東京貧困女子。』の世界が現実のものとなる。

そして、いま、ポピュリズムのもとで、人びとの生活を守るための保護主義が世界を覆いつつある。20世紀のようなファシズム化を避けつつ、この時代に相応しい思想と制度で社会を守ること。ようするに現代社会の条件に見合った公共のセーフティーネットをどう構築するか。『東京貧困女子。』を読めば、このことが現在の日本の本当の政治の課題であると分かるはずだ。

そんなことを話しつつ、イベントのクライマックスは令和の貧困の話題に。平成の貧困の象徴は女性と子どもであった。そして、取材を続ける中村さんによれば、令和の現在、女性たちの貧困は底を打ったように見えるとのこと。それでは今後、新たに誰たちが人間性を喪失させるような貧しさに喘ぐことになるのか。

中村さんの感触では、令和の貧困の問題の中心は50歳以上の男性たちになるという。会社に首を切られ、家族に見放され、誰からも顧みられず、しかしそんな状態でも常に上から目線でプライドだけは高い人たち。彼らの貧困は、想像以上に悲惨なものとなることは間違いない。

大雑把に言えば、昭和の貧困は仕事がない人たち、あるいは身体や精神の障害、年齢などの理由で仕事ができない人たちの問題であった。平成の貧困の問題は働いても働いても生きるために必要な資源を得られない人たちが大量に出現したことであった。

では、令和はどうか。その答えは、路上に積み重なるおじさんたちの屍の山を見たとき、初めて分かるのかもしれない。そんな事態が他人事ではない身からすると、暗澹たる気持ちで幕が下りたイベントだった。



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