「消えゆく“ニッポン”の記録~民俗学者・神崎宣武~」

ETV特集。すばらしい番組でした。以下は感想です。
 
 宮本常一の弟子だった民俗学者の神崎宣武さんは、郷里の岡山・美星町の宇佐八幡神社で神主をしながら東京を拠点に全国の民俗を調査している。東京の花柳界やテキヤなども調査し、これまでに60冊以上の本を書いてきた。
 神崎さんという民俗学者をとおして、西日本でもめずらしいほど古い行事がのこる里山の1年を描いたドキュメンタリー。高度成長をへて失われようとしている「ニッポン教」を浮き彫りにしている。
 それぞれの家にさまざまな神がいて、それらをまつる家祈祷(かぎとう)、一族の神をまつる沖縄の先祖崇拝のような「株神の祭り」、荒神さん……。祭りのあとはお供えした酒や食物を食べる「直会(なおらい)」があり、酒をのみながらかたりあう。旧暦6月の夏越しの祭りではチガヤで茅の輪をつくる。
 神様をよぶには大切なものを供えなければならない。「日本の神さんは呼べばどこにでも出てくる。でも手ぶらでは神参りはできません」「信仰それ自体より、穏やかな気持ちで穏やかな時間を共有することが大事なんです」「ホンネをしゃべるには、何度も何時間もかける必要がある。無駄な時間をかけることを毎年くりかえすことが文化の継承には大事なんです」
 祭りや年齢階梯、寝屋親・寝屋子などの習慣がコミュニティ維持のためにはたしてきた役割をたんたんとつたえる。
 それらの主役である里の神は「正規の神」ではない。
 里の神は、明治の廃仏毀釈や神仏分離をつうじて「好ましくない」とはずされた。それ以前は、いろいろな祈祷者がいて、修験もいて、仏教の一部も祈祷していたが、それらは消えていった。土地に根づく信仰の大切さを説く神崎さんは「神社界のアカ」ともよばれた。
 高度経済成長後の過疎で、伝統の継承が困難になっている。神崎さん自身、足腰をいため、神事を簡略化せざるをえなくなった。美星町の多くの神事も「あと10年つづけられるかどうか」。
 日本の近代までの基盤をつくったのは南北朝時代にはじまる惣村だった。それらのムラがバタバタとくずれている高度経済成長後を「南北朝以来の激変」と網野善彦は評した。神崎さんもその思いを共有し、「ムラはこういうところ、ムラの人たちはこういう人たちでした、という遺言を記録しなければ」と語る。
 能登半島の小さな集落の「キリコ祭り」を思いだした。
 昔は「キリコ」(巨大な燈籠)を若者がかついで乱舞させた。高齢化すると、キリコに車輪をつけてガラガラと引っぱるようになる。引っぱることができなくなると、集会所の前に組み立てて火をともすだけになり、組み立てもできなくなると、集会所で祈祷と直会をするだけになる。
「集落がつづくかぎり祭りはつづきます。逆に、祭りが終わるときが集落が終わるときです」
 地元の民俗研究者が語ってくれた。
 今回の番組はその言葉とだぶってみえた。

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