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いのちの学校 歩き遍路② 運命は変えられなくても、運命の意味は変えられる

 すべての気力を失っていた2019年冬と、仕事も投げ捨てた2020年冬、四国八十八カ所を歩いて巡りました。気力がなくても、どうしようもない感情の渦に巻き込まれても足は前に出る。命は脳にだけ宿っているのではない。ということは、自分の命は自分だけのものではない……。遍路道はいのちの学校でした。
 2日目は十一番藤井寺まで歩きます。

6番安楽寺 (1 - 3)

理性を超える力

 朝7時に宿を出ると、ひんやりした朝靄がたなびき、鳩の羽音がひびいている。
「朝の景色はきれいなぁ」という妻の声が聞こえたような気がした。
 六番安楽寺は、昔は2キロほど離れた山中にあり、境内に温泉があったから「温泉山」という山号になった。街道筋に場所が移って温泉はなくなったが、20年ほど前に温泉を掘り名実ともに「温泉山」が復活したという。
 旧道沿いにはちょくちょく火の見櫓がある。都会では携帯電話が普及して姿を消したが、人が少ない地方では今も活躍しているのだろう。
 キンカンやハッサク、枯れ枝の黒ずんだ柿を見ながら旧道をたどると、まもなく七番十楽寺だ。愛染明王をまつっている。「藍(愛)に染める」という言葉から、縁結びはもちろんアパレル関係からの信仰もあつい。

 吉野川が開いた平野の北の縁を上流に向かってさかのぼり、仁王門をくぐって右手の山の中腹までのぼると八番熊谷寺に着いた。
 スピーカーから御詠歌が流れる石段をのぼり、人影がない本堂で大きめの声で読経した。
 20年以上前、京都で宗教担当記者をしていたころ、日本の歌曲の原点とされる「声明」を大原のお寺で聴いた。数十人の僧の声が波動のように打ち寄せ、薄暗い本堂の空間がゆがんで見えた。
 音ではないけれど、熊野本宮大社(和歌山県)の旧社地は、杉の巨木の木漏れ日が地面に描く幾何学模様が風で揺れ、空間が四次元のようによじれて見えた。
 宗教の聖典や「場」は理性を超えた何かを伝える力がある。僕も何度もくり返し経を詠むことで、そんな境地に近づけるのだろうか。

9番法輪寺 (6 - 6)

運命を信じるか

 熊谷寺から里にくだると九番法輪寺だ。門前には野菜の直売店とたらいうどんの店がある。さらに西に1時間ほど歩き、北側の山に向かうと、坂道の両側に遍路用品や掛け軸をあつかう店や民宿がならぶ。
 すぐに十番切幡寺かと思ったら「石段333段」という標識があった。約100段のぼるとわき水とお堂がある。さらに200段のぼると本堂だ。散歩中のおじさんは「裏に秘仏がある。見ることはできんけど、なんでも願いがかなうと言われてるんや。建物は落書きだらけだけど」と笑った。
 たしかに蔵のような建物は落書きだらけだ。現世で願いたいことはもうないけれど、妻があちらで幸せであることを祈った。

10番切幡寺大塔 (1 - 2)

 斜面のさらに上には国の重要文化財の大塔(高さ24メートル)が立っている。もとは大阪・住吉神社の神宮寺の塔だったが、明治政府の命令で廃寺となり、この寺の住職が買い取り、10年かけて移築した。日本版の文化大革命ともいえる廃仏毀釈の犠牲者だったのだ。
 塔からは、吉野川がつくった広大な平野を見渡せる。地殻変動や大河の浸食で形成された壮大な風景は、人智のはるかおよばない神々の造型だ。
 人間の一生なんてお釈迦様の掌の上で踊る孫悟空のようなものだ。どんなに努力しても運命は変えられない。
「でも運命の意味は変えられる」……ずっと昔に読んだ井上靖の小説「星と祭」にそう書いてあったのを思い出した。
 切幡寺までは、四国を東西につらぬく中央構造線に沿って歩いてきた。ここから南に折れ、吉野川対岸の山脈に向かう。


10〜11番善入寺島 (15 - 16)

日本一の川中島

 吉野川に向かう途中の集落には、農協や古いスーパー、饅頭屋だけでなく、本屋が残っていた。戦後民主主義の時代、農村でも読書サークルが生まれ、農作業の合間に女性たちが岩波新書を読んだムラがあった。地域の小さな本屋がそれを支えた。今も本屋が残るこの町はそういう文化が残っているのかもしれない。
 午後12時半、吉野川の沈下橋をわたると、善入寺島という日本最大の川中島に上陸した。東西6キロ、南北1.2キロ。500戸3000人が住んでいたが、遊水池化にともなう強制退去で1916年までに無人になった。当時の住民の子孫らが今も農業を営みながら「宝の島」を守っているという。
 島は竹林に囲まれている。洪水時は竹林が土砂の進入を阻み、川が運んできた養分のみをいただく仕組みなんだそうだ。
 大根や白菜が植わり、黄色い菜の花が咲き乱れる広々とした農地に、チーチクチクというヒバリらしき声が響く。美しい風景をひとりで眺めるのは胸が痛む。
 40分かけて島を横断し、沈下橋で右岸にわたった。公園で休んでいたら、近所のおじさんに声をかけられた。何度もお遍路をしたという。「ぼろぼろになっても靴を替えたらあかんよ。足がくわれるから」。「足がくわれる」という表現が新鮮だった。
 昨日二番札所を出てからコンビニは1軒もない。商店もほとんどなくて、昼食を食べそびれた。十一番藤井寺には午後2時20分に到着した。左岸の山の中腹の切幡寺から右岸の山際の藤井寺まで、吉野川の平野を横断するのに約3時間かかった。

11番藤井寺 (3 - 6)

 藤井寺は静かな寺だ。春は桜や藤の花が美しかろう。本堂の天井の30畳の大きさという竜の絵は迫力がある。
 でも、ちょっと手前で、大根を洗っていた農家のおじさんの姿の方が、お寺よりも神々しくありがたく思えた。
 藤井寺近くの「旅館吉野」に入った。夕食時、神奈川に住む60代の夫婦が隣に座った。話が盛り上がり、熱燗を1本ごちそうしてくれた。夫婦で遍路道を歩けるのがらやましかった。(2日目=22キロ)=つづく

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