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熊野古道・西国三十三所

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2021年5月の記事一覧

紀伊路⑨巨石も森も神だった(湯浅〜御坊)

紀伊路⑨巨石も森も神だった(湯浅〜御坊)

神仏習合の大権現
 約20の風車がくるくる回る山に向かって歩いていると、田んぼから今年はじめてカエルの声が聞こえてきた。
 津兼(井関)王子跡は、阪和自動車道広川インターの建設工事で消滅したが、インター脇に碑が立っている。

 旧道沿いを10分たどると、山の斜面に無数の鳥居がへばりついている。きつねを祀る伏見稲荷大神、弘法大師のお堂、白龍大明神、王子大権現……10以上の神仏の集合体だ。「丹賀大権現

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紀伊路⑧峠道から醬油の町へ(拝ノ峠~湯浅)

紀伊路⑧峠道から醬油の町へ(拝ノ峠~湯浅)

巡礼の墓

 拝ノ峠から少し歩くと有田市に入る。尾根から下ると、蕪坂塔下王子跡、太刀の宮(かつての道祖神)、「爪かき地蔵」とつづく。「爪かき地蔵」は自然石に阿弥陀仏と地蔵を線刻している。室町時代の作だが、弘法大師が爪で描いたと伝えられている。現地では暗くて見えなかったが後から写真を見ると、たしかに地蔵が描かれていた。

 ふもとの集落の「山口王子跡」の先に、亡くなった巡礼者の墓石や板碑を集めた「伏

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紀伊路⑦みかんの原種は常世から(海南〜拝ノ峠)

紀伊路⑦みかんの原種は常世から(海南〜拝ノ峠)

熊野信仰で広まる「鈴木さん」

 早朝の海南の町は朝靄にけぶっている。古びた商店がならぶ旧街道を、緑の屏風のようにそびえる山へ向かう。
 藤代神社への途中、左手の山道に分け入ると、十番、十五番……と刻まれた石仏が斜面にならんでいる。ミニ四国八十八カ所だ。
 源平の争乱で熊野水軍が源氏に与したことで熊野修験者が四国に浸透し、辺路修行の行場をネットワーク化したことが「四国八十八カ所」につながったという

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紀伊路⑥埋蔵金と出雲の不思議(布施屋〜海南)

紀伊路⑥埋蔵金と出雲の不思議(布施屋〜海南)

埋蔵金の山

 JR和歌山線の布施屋(ほしや)駅におりると、低く垂れこんだ曇から時折雨粒が落ちてきた。
 山に向かって住宅地を進んだ三叉路に、お堂やスタンプ台を備えた川端王子跡があった。
 左手の高積山(237メートル)はてんこ盛りのごはんみたい。こうした神奈備型の山は信仰や伝説があるものだ。
 高積山には「朝日サシ夕日輝ク其ノ中ニ大判千枚小判千枚朱8石(3石)オハシマス」と埋蔵金伝説が伝えられて

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紀伊路⑤国の境 ムラの境(山中渓〜布施屋)

紀伊路⑤国の境 ムラの境(山中渓〜布施屋)

仇討ちも事故も押し付け合い

 5月はじめ、JR紀勢線の山中渓駅におりると、燃えるような新緑の山峡にウグイスの声が響いていた。峠道を走るランナーが5人おりたが、コロナのせいか観光客の姿はない。
 駅前から峠に向かう県道を歩くと、ロードレーサーに次々に追い抜かれる。山中関所跡は石碑が倒れている。南北朝時代から関所だったが、江戸時代に廃止されたという。
 並行する阪和自動車道やJR紀勢線は何度も往復し

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紀伊路④和泉橋本~山中渓

紀伊路④和泉橋本~山中渓

虚栄の塔

 JR和泉橋本駅(貝塚市)近くの正福寺が鞍持王子の跡らしいがわからなかった。駅から20分ほどの南近義(みなみこぎ)神社は、鎮守の森に囲まれ、境内は明るい。もとは丹生神社と呼ばれたが、明治40から42年にかけて南近義地域の神社をまとめて南近義神社と改名された。鞍持王子と近木王子も合祀された。 旧街道を泉佐野市に入ると、蝶が舞うため池の向こうに、1996年に竣工したりんくうゲートタワービル

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