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熊野古道・西国三十三所

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2021年4月の記事一覧

紀伊路③仁徳陵から貝塚へ

紀伊路③仁徳陵から貝塚へ


大社になれなかった氷川神社
 大仙陵古墳からは、工場と住宅が農村を蚕食して形成されたちょっと殺風景な町をたどる。「日本最古の戎宮」石津神社を経て門前町風の街並みに入ると大鳥大社だ。寺社が中心にある町はどこも独得の落ち着きがある。
「大社」という名は、もとは出雲大社(島根県)だけに使われていたが、19世紀末になって、春日大社(奈良県)や諏訪大社(長野県)なども大社と呼ばれるようになった。戦前は、全

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熊野古道・紀伊路②釜ヶ崎から仁徳天皇陵へ

熊野古道・紀伊路②釜ヶ崎から仁徳天皇陵へ

飛田新地と釜ヶ崎
 日本1高いビル「あべのハルカス」の足もとは全国でもめずらしいディープな町だ。
 飛田新地は置屋の店先に女の子と客引きの「やり手婆」が座っている。気に入った子を選んで20分1万6000円ほどで遊べる。その西には日雇い労働者の町・釜ヶ崎(愛隣地区)が広がる。二十数年前、ドヤ(簡易宿泊所)に泊まりしながら朝日新聞の家庭面に「ホームレス」の連載記事を書いた。覚醒剤を売る兄ちゃんと飲んだ

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熊野古道・紀伊路①庚申信仰

熊野古道・紀伊路①庚申信仰

舟運が復活 熊野を詣でる平安京の貴族たちは伏見から舟に乗り、淀川を下って約35キロ南の大阪・天満橋の八軒家に上陸した。同じ航路を江戸時代は三十石舟が下り半日、上り1日かけて結び、明治になると蒸気船が往来した。
 1910(明治43)年に京阪電鉄が京都・五条と天満橋の間に完成すると水運は衰えたが、95年の阪神大震災で陸上輸送網が寸断されて舟運復活の機運が生まれ、2017年からは週末を中心に八軒家浜船

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