編集者なのに、なぜ「書く」のか
「よくそんなに自分で書こうと思いますねえ」
これは仕事関係者からたまに言われる言葉だ。日々の業務に忙殺されるなかで、わざわざ自分で文章を書こうなんて気は起きないだろう、と。たしかに面倒くさいし、ただでさえ少ない可処分時間が減ってしまう。編集部に「所属」している“編集者”ならば基本的には固定給なので、書いたところで1円の足しにもならないわけだ。
Webメディア編集者が、あえて自分で「書く」意味
僕は現在、あるWebメディアの編集者として働いているが、“ライター”として書く機会も少なくない。
Webメディアの編集者と一口に言っても様々。そのなかでも膨大な情報を扱い、スピード感が求められる“ネットニュース”である。もちろん、ジャンルには得手不得手もあるし、すべてをカバーしようと思ったらキリがないので自分なりにネタを取捨選択しているが、それでも制作しなければならない記事本数は多いほうだ。
そもそも僕は以前、10年近くフリーライター(※業務委託も含む)として活動していたので、取材をして原稿を書くことにどれだけ時間と労力が掛かるのか知っている。全体の業務効率は間違いなく落ちる。にもかかわらず、なぜ「書く」のか? じつは、大まかに3つの理由がある(ような気がする)。
①感覚の確認:自分の編集方針は合っているのか?
編集者は、人様の原稿に赤入れをして「こうしたほうが読まれるのではないか?」と提案するわけだが、そのためには“根拠”が必要だと思っている。
根拠となる成功・失敗の知見がたまっていくことで編集の感覚はどんどん磨かれていくが、Webの場合はすぐにアルゴリズムが変わってしまうので、今の感覚が本当に合っているのか、迷ってしまうこともある。
そんなときに自分で書いて記事を出してみることで、感覚の確認ができるのだ。新しいことにチャレンジする場合や、これまでのセオリーとは真逆でいく場合なども自分で書くほうが都合が良い。
とはいえ、自分で書くことは、ふだん赤入れしているライターさんたちから「なんだコイツ、たいして文章うまくないじゃん(笑)」「そんなもんかよ」って思われてしまうリスクもある。が、それはそれでいいと思っている。編集者の赤入れは絶対じゃない。だから「逆に自分はこういう考えがある」ならば、それを言いやすくなるはずなので。
②実績づくり:Webメディアの編集者は意外と手残りが少ない……
これは愚痴っぽくなっちゃうのでこの場で書くか迷ったけど(笑)、Webメディアの編集者は、たくさんのコンテンツをつくっているわりには意外と手残りが少ないように思う。手残りとは、“自分の実績”という意味。
たとえば、書籍の編集者だったら1発でもヒット作を生み出せたら“自分の実績”として、SNSのプロフィールやポートフォリオ、職務経歴書にも書き続けられるだろう。しかし、Webメディアの編集者で1本1本の担当記事を「代表作」としておおっぴらに掲げる人は少ない。
世間でも「ネットニュースはコンテンツの消費スピードが早い」なんて言われているけど、自分の担当記事が各ニュースプラットフォームのなかで「トップニュース」としてピックアップされて大きな話題を呼んでも、半年後(もっと短い期間かも?)には「そんな記事あったっけ」と忘れられているかもしれない。
(もちろん、Webメディアを立ち上げた、編集長として1億PV達成させた、短期間でめちゃくちゃグロースさせた、みたいな“仕組みづくり”が上手な人はすごいし、それは編集者としてもわかりやすい実績だと思う)
つまり、人から忘れられない前提としては“定期的に続けていく”ことが重要なのは言うまでもない。そして、それはライターの話である。
裏方として記事に名前もクレジットされない編集者は……。
数字の部分で社内評価にはつながると思うが、対外的な実績にはなるのだろうか。Webメディアの編集者として、「顔が見える人」は少ない。最近はSNS上で編集者うんぬんはプチ炎上しやすく、「編集者はなにも編集していない」「ただのワードプレッサー」(サイトに入稿してくれる人)とか皮肉を言われ、槍玉に挙げられてしまうぐらい、記事の制作にぜんぜん関わらない編集者も多いらしい。「担当記事がヤフトピをとりました」なんて主張したところで「それって、ぜんぶライターのおかげでしょ?」で終わってしまうのではないか。
言うまでもなく、いちばんは“ライターさんの実績”である。まあ、それはそうなんだけど、本当になんらかの形で制作に携わっているならば、もっとそれを発信してもいいのではないかとも思うようになった(とか言いつつ、あんまりできていないけど……)。
また、①で書いたとおり、“そのとき当たる傾向”を誰よりもわかっているのが編集者なのだから、それを確かめながら書くことを定期的に続けて”自分の実績”を同時に積み上げていく必要を感じている。やっぱり、編集部に所属していても今は“個”の時代。それぞれの個が高まっていけば、それがチームとして、メディアや会社自体の強みにもなっていくはずなので。ケイスケホンダっぽい。
冒頭のように「よくそんなに自分で書こうと思いますねえ」と言ってもらえることが、自分の実績になっている証拠かもしれない。まあ、まだまだなんだけど。
③感情の逃げ場:編集者である以前に、書くことが好きだから
今は編集者にもライターにも、取材や執筆などの基本的スキル、コンテンツの質を高めること“以外”の能力も幅広く求められている。具体的には、SNSマーケティングやプラットフォームのアルゴリズム解析、競合が多いなかで、それらを駆使していかに届けるか……。
そんななかで僕にとって、書くことは「逃げ場」でもある。
①と②の理由を改めて自分で読み返してみても(あんまりまとまらなかった!)、たくさんの記事を扱っているぶん、迷いや葛藤も多く、感情が揺れ動いている……もう、いろいろめんどくせえ!
あんまり考えすぎても疲弊しちゃうからね。書いている間は目の前のことに集中できるので、いろんな不安を忘れさせてくれる。ちょっぴり不思議な言い方かもしれないが、“仕事から逃げるために仕事をしている”状態。
それは思考停止? いや、結局は書くことが好きだから、ただ好きだから書いている。編集者とかライターとか関係なく、書くことが好きだから書いている。それでいいのだ。
<文/藤井厚年>
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?