寝過ごした朝
「ヤバい!」
やっちまったようだ。枕元のケータイを探す。時刻はすでに午前10時をまわっており、いつの間にかアラームは止められていた。状況がつかめないまま、布団から飛び起きる。
「ヤバい、ヤバい、ヤバい……」
ここはどこなのだろうか。「現場」に遅刻してしまう。どうしたら間に合うのか。寝起きで頭がまわらない。自分は何を焦っているのか。
待てよ。もう、現場に行く必要はなかったんだ——。
初出社の日、編集部の片隅に寝袋が…
現在は、目を覚ました瞬間に「ヤバい!」と焦ることは少なくなったが、寝過ごした朝には、ついつい思い出してしまう。約15年前、いまは無き渋谷系ファッション&カルチャー雑誌『men’s egg』編集部に入社した頃の記憶である。
僕は雑誌の休刊付近の約5年間、そこで「新人」として過ごした。
渋谷センター街(現・バスケットボールストリート)から徒歩3分ほど、神南の雑居ビル6階に編集部はあった。学生時代から神南の古着屋でよく買い物をしていた僕は、「いつかこの街で働きたい」と思っていた。その念願が叶ったのだ。
とはいえ、初めての出社に緊張していた。経理(総務)担当のSさんが優しく出迎えてくれたのでほっとひと安心、したのも束の間だった。
入社書類などを記入するため、編集部の片隅にある打ち合わせスペースに通されると、Sさんが急に「あっ」と声をあげる。足下に目をやると、寝袋にくるめられた死体……ではなく、「センパイ」と思われる人物がいびきをあげながら爆睡していたのだ。
「おはよう。ねえ、悪いけど、ちょっとどいてくれる?」
髪はボサボサ、無精ヒゲが生えている。ふらふらと立ち上がったセンパイの表情は疲れ切っており、まるでゾンビだった。
徹夜したのだろう。しかし、Sさんは何事もなかったように「じゃあ始めようか」と言うので、これが編集者として当たり前の日常なのだと察した。
そんな朝もある。朝といっても時刻は午後1時を過ぎていた。もはや不安しかなかった。
いきなり徹夜生活に突入
ドラマや漫画などを見て覚悟はしていたが、編集者としての生活は想像を絶するものだった。入社翌日からワケもわからないまま名古屋に出張、二泊三日で東京に戻ってきてからは、帰宅する間も無く編集部で徹夜生活に突入した。
当然、誌面の編集などしたことがない新人なので、「雑用」が主な仕事である。取材先やモデルのアポ入れ、スタジオやロケ弁の手配、小道具の買い出し。
そもそもアポ入れを行っているのは自分なので、ほとんどの「現場」に立ち会うことになる。現場では取材・撮影が円滑に進むように、ストロボなどの機材セッティング、フィルム交換やレフ持ちなど、カメラマンをテキパキとサポートする。
日中は基本的に現場で体を動かしているか、アポ入れの電話をしているか、そのどちらかである。現場から編集部に戻ってからは、後片付けだ。
大手出版社ならば清掃業者などが掃除してくれるのだろうが、ここでは新人のつとめとなっていた。読者モデルのギャル・ギャル男、外注スタッフ、リアルな一般読者(※開放されていた)……人の出入りが激しい編集部だけに、排出されるゴミの量が尋常ではなかった。
訪れた人物から「こんなゴミ屋敷で働いてるヤツら頭どうかしてるw」とブログで叩かれたこともあるほどだ。
1日はこれで終わりではない。深夜は延々と続く地獄の「ポジ切り」が待っている。当時、写真はデジタルではなくフィルムである。
カメラマンがポジフィルムを見て、使えるカットとして赤ペンでアタリをつける。それを1枚1枚ハサミで切ってから、透明なシートに入れていく。そして、スキャナーでパソコンに取り込んでからフォトショップでトリミングするという、目眩がするほど地味で過酷な作業。あまりの疲労に寝落ちして、気づいたら朝……なんてこともしょっちゅうだった。
現場に遅刻してはならない
朝は待ってはくれない。今日の仕事が終わる前に、明日の仕事がきてしまう。なんとか命からがら帰宅し、仮眠するつもりが爆睡。「ヤバい!」と言いながら取材の開始時刻寸前で飛び込むことも多々あった。「絶対に」現場に遅刻してはならない。これは鉄の掟だった。詳細は割愛するが、社会人として基本中の基本、言い訳など許されないことである。
ようやく取材・撮影の期間が終われば、今度は原稿の執筆だ。『men’s egg』は独特のノリ(トーン&マナー)だったので、基本的にライターは外注しない。つまり、編集部員がすべて自分で書くのだ。そして、入稿作業。
このサイクルで仕事を間に合わせるためには、もはや会社に泊まり続けるしかなかった。現場に遅刻してはならない。僕は編集部の住人になっていた——。
胸焼けがひどい
「カァーカァーカァー」
外から聞こえてくるのはカラスの鳴き声。腹でも空かせているのだろうか。そんなことを考えつつ、再びベッドに寝転がる。平日の昼間だというのに、我ながら呑気なものだと思った。
新人ライターや編集者に対して、あの時代はもっと大変だったんだよ、と喉元まで出かかって、ウイスキーといっしょに呑み込んだ夜。その翌日は、決まって寝過ごしてしまう。
青春の残滓。胸焼けがひどい朝だった。
<文/藤井厚年>
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