「あなたは何者ですか?」に5秒で答えられるか
「もしかして、“ケツくん”……!?」
自転車に乗った女性が、道端ですれ違いざまにつぶやいた。
ケツくんとは、僕の学生時代のあだ名である。その呼び方を知っているのは一部の友人に限られる。自分でも忘れていたが、かつて僕はケツくんだったのだ。
君の名は。マスクをしていて最初は気づかなかったが、昔よく遊んでいたA子だった。もうずいぶん会っていなかった。ほんの一瞬に過ぎなかったのに、僕のことなんてよくわかったな。
A子の自転車はいわゆる“ママチャリ”で、後部にはチャイルドシートが付いている。もう結婚して子どもがいるのだろうか。目に見える情報からしばらく思案していると、彼女が僕について聞いてきた。
「卒業後は?」「仕事はなにをしているの?」
僕は……。
あれ……僕は……。
5秒ぐらい経ってしまった。自分のことなのに、うまく言葉にできなかった。なにをどう説明したらいいのか。そういえば、最近は「自分」について話すことがめっぽう減ってきた気がする。
今の時代、「自分」について話す機会は少ない
日常において人との会話は「必要最低限の連絡事項」が無難になりつつある。とくに仕事関係の場では、うっかり変な質問を飛ばして“なんちゃらハラスメント”に認定されないように、プライベートのあれこれを聞いてくる人はいなくなった。かといって自分語りは嫌われる原因にもなりかねない。
さらに言葉を発するタイミングを間違えてはならないというプレッシャーが、よりいっそう口を重くする。“会話泥棒”とか思われないだろうか。
ムズッ……今の時代のコミュニケーションって、ムズッ!
つまり冒頭のように学生時代の旧友や会社の同期、すでに共通の話題をもっている相手でもなければ、「自分」にフォーカスした内容を伝えることなんて気軽にはできなくなったのだ。
“路傍のフジイ”は何者なのか?
そんななかで昨年、SNS(X)に「#あの選択をしたから」というハッシュタグの投稿が偶然流れてきた。人に歴史あり、と思った。誰だって生きてきたぶんだけの悩みや葛藤があって、「今」に至るまでの理由がある。
ちょっと自分も書いてみようかしら。これまでの軌跡をざっくりとまとめてみたところ、意外なほど多くの反応があった。
僕はもともと海外旅行が好きで、30歳ぐらいまでは頻繁にバックパッカーで旅していた。大学時代、現地で体験した強烈な出来事が脳裏に焼き付いて離れず、「人に何かを伝える仕事がしたい」と思ってメディアの世界に入った。
ギャル男雑誌の編集者としてキャリアをスタートさせ、“紆余曲折”ありながらも現在は週刊誌系Webメディアの編集部に所属して編集者・ライターとして働いている。おおっぴらには言えないような修羅場もたくさん乗り越えてきた。
とはいえ、基本的には自分からなにか言わなければ、自分のことなんて誰にもわからないのである。
記事がきっかけで広がる世界
「note読みましたよー! ぜんぜん知らなかったです。よかったら今度詳しく教えていただけませんか?」
仕事関係の知人はもちろん、たまたまnoteを読んでくれた人から、わざわざDMをいただくこともあった。これがきっかけで、とんとん拍子で情報交換する機会も生まれた。
じつは僕自身、以前からnoteはけっこうパトロールしていて、記事を読んで気になった人に声をかけることも少なくなかったのだ。
もしかすると、僕が書くことで、今までなにげなくいっしょに仕事をしていた人たちともっと深く交流できるかもしれないし、新しい出会いだってあるかもしれない。そのための呼び水になればいいと思っている。
noteでは、路傍のフジイが何者なのか(ウザくない程度に)少しずつ書いていくつもりだ。
<文/藤井厚年>
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