見出し画像

「あと1年で死ぬ」と思えば、やることが見えてくる

「明日死ぬとしたら、どう生きますか?」

という問いがあります。いつ死ぬかわからない気持ちで全力で生きろってメッセージだと思いますが、個人的には「明日死ぬならもう特にやることはないかな」とか思ってしまう。

今更1日でできることなんてたかが知れてるし。僕だったら逆に焦らずゆったりと過ごして人生終わらせると思う。


でも明日ではなく「あと1年で死ぬなら」って考えると、もう少し具体的にやるべきことが見えてくるかもしれません。




豪遊するには長い1年


あと1年で死ぬなら、まずお金はいらないですよね。どうせ死ぬんだから。好きなことに使ってさよならの人生も悪くないと思います。


でも、1年は意外と長い。たとえ1億持ってても、好き放題使ってたら意外とすぐなくなるかもしれない。そう考えると「豪遊」というのは、いささか度が過ぎている気もします。

金銭欲も物欲も、残り1年の余生を幸せに過ごすにはあまり適切じゃないかもしれません。


やりたいこと、はそこまで多くない


では「やろうと思ってたけどやっていなかったこと」に挑戦するというのはどうでしょう? たとえば海外旅行とか、バンジージャンプとか、乗馬体験とか、やろうと思わないと中々やらないこと、ありますよね。

これはありだと思います。人間心の底からやりたいことをやるのが一番です。


ただ、僕の場合「やりたいこと」はそこまで多くない気がしました。

ソロキャンプをしたり、子供の頃行った場所にそのうちもう一度行こうとか思ってましたが、こんなのは一ヶ月もあれば十分です。大事なことの一つではありますが、メインにはならないかもしれません。


もうすでにわりと人生に満足している


そもそも、僕の場合は今の時点でもうすでにわりと満足してます。

会社を辞めて好きなことやって、将来に不安はあれど多少の結果を出しているので、今後どんな状況になっても、何だかんだ自分はやっていけるだろうという自信があります。


だから、もしあと1年で死ぬならすべきは「自分が幸せになること」ではなく、「他人を幸せにすること」かもしれません。


自分ではなく、他人に何かを残したい


他人を幸せにするといっても、僕の場合「直接プレゼントをする」みたいなことはあまり得意ではありません。もちろんそれも大事ですが、もっと大きな枠組みで考えているフシがあります。

すなわち、「これから生きていく人に何か残せないか」という話になります。


誰かの行動や考えを変えるきっかけになりたい


たとえばイラストですが、将来偶然にも僕のイラストを子供が見て、その子が自分も描きたいと思ったり、イラストという芸術に興味を持つきっかけになれば、それはその子を幸せにしたことになると思います。

このnoteだって、誰かが悩んだ時の小さな助けになるなら、他人を幸せにしたことになりえると思います。


そんな感じで、自分が何かを残すことで、誰かを助けるきっかけになると思えば、あと1年で死ぬとしても悔いは残らないかもしれません。


納得のいく状態で死ねるよう、日頃から努力したい


とはいえ実際に余命1年になったら、かなり焦るでしょうね。

今まで以上に早いスピードでコンテンツを作っていく必要があります。それでも基本的に今までとやることは変わらないので、やるべきこと自体はすでにそれなりにできているのかもしれません。


あとは、「どういう状態で死にたいか」というのも、個人的には結構大事です。死んだらそこで終わりですから、せめて「できるだけ自分の理想に近い人間」として残った人の記憶に残りたいものです。

会社をやめてからの僕はずっと「可愛くてセンスのある絵」に憧れてきました。できるなら、自分の理想とする絵になるべく近づき、そのような絵を描くにふさわしい見た目・環境を整えた上で、人生の幕を下ろしたいですね。


今回は余命1年という設定ですが、正直何が起きるかはわかりません。明日にでも交通事故で死ぬかもしれないので、普段から理想に近づく努力を怠らないようにしたいと思います。

ということで、今回は以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?