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アパレルDXの幻想 - テックっぽさはもういらない

「アパレルのDXはどうなるのでしょうか。中国の先進事例を教えてください」

今日も、こういった質問をいただきました。

単にネタが欲しいだけの取材であれば「また事例ハンターか...」とがっかりするのですが、色々聞いていくと、「テクノロジーで何処までできるのかを把握して、未来に向けたビジョンを作っていきたい」ということでしたので、それであれば、と真剣に思考をめぐらせたところ、新しい景色が見えてきました。

改めてこれまで見てきた事例において、何が定着し、何が定着していないかを考えてみると、結局のところ全体の流れは「自己表現としてのアパレル」に向かっていて、一方無駄にテックっぽいだけでユーザ理解から始まっていないものは、軒並み定着していないことが見えてきました。今回は、アパレルDXの何が「来ない」方向で、何が「来る」方向なのか、考えを述べてみたいと思います。

アパレル業界の方でなくとも、自身の業界に置き換えていただけるような内容にまとめていますので、是非読んでみてください。

「来なそう」なありがちアパレルDX

社会実験を大量にやったけど、それでもうまく行かなさそうな例として、以下のようなものが挙げられます。

  1. 3Dモデリングなどによる完璧なサイズ管理

  2. 無人化店舗とAI診断

  3. ECで自分に完璧に合ったものだけが届く

  4. オンラインとオフラインの「両方」を強要するOMO店舗

決して悪意を持って「こんなの来ないよ」と言いたいわけではなく(4番はちょっと悪意ありますが)、正直私も希望を持ってワクワクしながら見ていたり、試したりしたものばかりです。

1の「完璧なサイズ管理」は、全身の写真を撮ったり、足を3Dモデリングで計測したりすることで、これまで以上に精緻に体の情報を把握することができるものです。体の特性に合った服をおすすめしたり、採寸してオーダーメイドしたり、といったことが想定されています。いくつかある難点として、計測のための機器や道具が必要なことや、一度データを取ったからといってあらゆる局面で使えるパスポートのようにはなかなか使えないこと、身体測定の結果を元に超緻密に服が作られるわけではないこと、などが挙げられます。

「体に完璧にフィットして有り得ないくらいお洒落になれる」といった圧倒的な体験があればまた話は別なのでしょうが、実際にはアパレルショップ側にとっても、ユーザ側にとっても結局のところ負荷が高く、実際には記憶とその場のフィッティングでいいものを見つける方が圧倒的に便利に感じてしまいます。

2の「無人化店舗とAI診断」は、こうした「人が実行する機能」を全て自動化することが前提になっていて、例えば全身鏡がコーディネートを提案してくれたり、最適なサイズを教えてくれたりします。3の「ECで自分に完璧に合ったものだけが届く」は、サイズや着こなしのパーソナライズを意味しますが、多くの場合「無人化」や「サイズ管理」が影響する課題が解決されることを前提にしています。

1も2も3も、ブランドごとのサイズ定義が異なることはもちろん、シーズンごとに着崩し方やベストなサイズ感も異なるので、なかなか過去データからベストなパターンを出せませんし、さらには体だけではなく、顔や髪型や雰囲気なども着こなしに影響します。ジャケットを買いに来ているだけなのに、なぜか全身コーディネートをされるなど、実際の状況とのアンマッチも起きます。

これらを技術的に解決し、誰もが服選びで困らない状況を作ろうと努力がされてきているのですが、実際には全く定着しておらず、新たなスタンダードとまで言える体験が提供されていないのが現状と言えるでしょう。

4については言うまでもないでしょう。OMOとは「オンラインとオフラインを区別しなくなる」という人々の感覚であり、UX起点でビジネスを作る思考法なのですが、「OMOをやる」という場合、そのほとんどが「オンラインとオフライン両方でできるようにしました」という手法起点で作られています。「ああ、上司にOMOをやれと言われたか、広報的な価値のためにOMOと言わざるを得なかったんだなあ」と感じます。

結局のところ、ユーザはもっと楽しみたい、もっとハマりたい、もっとわがままを言いたい時に更なる負荷を受け入れ、そうでないときはなるべくシンプルに終わらせてほしいのにもかかわらず、ユーザの楽しみや熱意がないところで無駄な作業を増やしているアパレルDXばかりが取り沙汰されているというのが、現実なのかもしれません。そんなテックっぽさ、誰も求めていないのに。

※ロジスティクスや廃棄ロス、商品管理などの業務改善型DXはここでは触れていませんが、良質かつ価値あるものが多いように感じています。

「来そう」な未来は、いつも「ユーザの自由」から

テクノロジードリブンなアパレルDXが様々に試された結果、今何が受け入れられているのでしょうか。

「価値観は時代の潮流にかなり規定される」、という話や、「インターネットが個人の自由を拡張し、情報の自由だけでなく、リアル世界における行動の自由まで手に入れた」という話を、このInspiration Letterでもしてきました。

あらゆる人が簡単に、自分のお店やオリジナルの洋服を作れたりするようになり、その結果、自分らしいスタイルを選びやすくなって、自分らしさを様々な形で投影できるようになりました。それは服の着こなし方であったり、ブランドや思想への共感であったり、好きなインフルエンサーの世界観に浸ることであったりしています。このこと自体が、すでにアパレル業界のDXと言えるような状況だろうと思っています。

これはアフターデジタル2にも書いたことですが、D2Cブランドがたくさん生まれ、こうしたブランドは単にブランディングをしながら服を売っているだけではなく、その世界観や哲学を表した発信やイベントを行ったり、ポッドキャストでそれを伝えたり、ファンを巻き込んで一緒にブランドのことを考えたりしています。より充実した生活を送ることを可能にしているわけです。こうした流れが人々に受け入れられていることは、私もよくお話ししていることだろうと思います。

​​​​​「自己表現」ということを考えたときに、気になる流れがもう一つ。

​メタバースやNFTという言葉をバズワード的に捉えてしまうと、一体これらがユーザの何を自由にしているのか見えてこないと思いますが、実は同じ流れに位置づけられます。

元々インターネットは、人々を自由にする存在でした。繋がりあえるはずのない距離にいる人と、趣味で繋がることができたり、普段は言えないことを匿名の人格で発信することができたり、物理制約や社会制約で実現できなかったことを可能にしました。しかし、SNSが一般化し、かつオンラインがリアルに浸透した現在、インターネット空間においても誹謗中傷や「良く見せる」ことの圧迫感など、さまざまな形で抑圧され、制約を受けるようになってしまっています。

メタバースとそこに存在するアバターは、新たな形で自分の制約を取り外し、自己を回復することができます。性別も、肌の色も、体の大きさも変えることもでき、「最も自分らしい状態」とか「自分の考える最高の状態」を表現することができます。NFTはここに秩序をもたらすことができ、例えばNIKEと好きなアイドルの100個限定コラボレーションスニーカーを買ってアバターに着せることで、自己表現の1つとしてみんなに見せることが出来ます。自分がメタバースの中でアイテムを作って販売することも出来ます。

その結果、自分らしいスタイルを選びやすくなって、自分らしさを様々な形で投影できるようになりました。それは服の着こなし方であったり、ブランドや思想への共感であったり、好きなインフルエンサーの世界観に浸ることであったりしています。

この「自己表現」という行動を可能にしている技術革新や社会風潮は、オンラインでもオフラインでも、関係なく起きていて、若い世代であればあるほど、もはやこの2つは区別されずに自己表現の対象になっています。これはまさに、オンラインとオフラインの双方を重ね合わせて、区別なく普通に生きているということであり、これこそがアフターデジタル的なオンラインとオフラインの融合であると言えるでしょう。

※こうした世界観は、現在上映中の映画「フリーガイ」を観ていただくとかなりイメージできると思いますし、普通に最高な映画なので是非観てください。

ナチュラルであること

どうしても手法論から考えてしまいがちですが、本質はいつも「ユーザにとってどのような状況になったら幸せか」であり、言い換えると「どのような行動の自由を与えられているか」ということになります。

特にアパレルは、自分が着るものであれ、アバターが着るものであれ、「自己表現」と密接に関わっています。そのためであれば、新しいことにも挑戦するし、お金も払うし、めんどくさいことでも乗り越えられるでしょう。

しかし、そうではない場合はとにかく即時的な利便性を重視します。「今これを登録しておくと、後でサイズとか記憶されて便利だよ」と言われても、期待に胸が膨らむほどに圧倒的な利便性・楽しさがなければ、「一旦、今は普通でいいです」と、目の前の楽さや面倒のなさを優先することになるでしょう。それはもしかしたら、どれだけ3Dモデリングの精度が上がってコストが安くなっても、どれだけAIによるコーディネートの品質が上がっても、どれだけあらゆるIDが統合されて使えるようになっても、そこが自己表現などの楽しさや価値に繋がっていない限りは、「一旦、今は普通にいいです」のままなのかもしれません。

アリババのR&D組織「達磨院」にある研究室の一つに、ナチュラル・ヒューマン・コンピューター・インタラクション室というものがあります。これはナチュラルという言葉が重要らしく、以下のように語られていました。

「どうしてもテクノロジードリブンになると、テクノロジーは面白くて革新的であってもユーザにとって自然なものでないケースが多くなる。例えばVRがずっと定着しないのは、ゴーグルをつける行為が日常において不自然だからだ。これでは世の中に定着しないので、如何に自然な体験であるかどうかが非常に重要になる。」

その意味ではFABRICTOKYOは非常にUXドリブンであるように思います。「オンラインで採寸から購入まで完結する非接触型のサービスを開発」という書かれ方をするので、あたかも冒頭の1~3をやってしまっているように見えるかもしれません。しかし、実際にはあくまで店舗で採寸することを最重視しており、「どうしても店に行きたくない、行けない人は、持ってるスーツを送るか、持ってるスーツの長さを測るか、自宅にコーディネーターを呼んで採寸してもらうか、そのどれかであれば品質は保てると思いますので、それでも構いませんよ」という言い方になっています。ユーザにとっても、スーツテーラーとして品質を保つ観点でも、あくまでナチュラルな方法が取られていて、テクノロジーによる無理がないように思います。

DXの潮流や事例の書き方に惑わされずに、あくまで「世の中の潮流と、主流な価値観は何か」「ユーザが意欲を持ってやりたいこととは何か」「それはステークホルダーにとってナチュラルな動きか」を考えていただけると、実を伴ったアパレルDXが実現していくのだろうと思います。


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