セカイは私に無関心(いい意味で)。
小学生の頃まで、
私は毎日のように学校で泣いていた。
誰もいじめたりなんかしてなかった。
責めたりもしてなかったのに。
友達も先生も優しかった。
算数は苦手で体育も苦手。
でも救いようがないほど出来なかったというわけでもない。
なのに泣いた。
皆の前で何かを発表する時は泣いた。
それどころか他人の目がある教室で
作文を書く絵を描くことにすらも泣いた。
先生にあてられても泣いたしプールの授業はもちろん泣いた。
もんのすごく自意識が過剰だったのだと思う。
それが落ち着いたのは、
ある時気付いたから。
「セカイは私に無関心」
なのだと。
私が気になって怖くてしょうがなかった
「他者の目」。
しかしそれは私のことをそんなに見ていない、ということに気付いた。
私がセカイを邪魔しなければ
(犯罪とかしなければ)
セカイも私にそこまで害を与えてくるものではない。
いい意味で注目もされないけれど、
わるい意味での注目もされない。
それがプラスの方向で私に作用した。
だいぶ楽になった。
私は「目立ちたい褒められたい」ではなく、
自分の好きなように心地よく生きていきたい。
でもそのことに気付けたのは、
それを受け入れる体勢が私に出来たからだから。
自意識過剰真っ最中に誰かに教えられても、
私は理解出来なかったと思う。
たとえば8歳息子に
「誰も君のこと見てないよ」
なんて言えない。
今言っても絶対プラスにならない。
自分を最も縛っているのは自分自身なのだと。
いつか気付いて楽になってくれればいいな、
と思う。
セカイよ、
私の邪魔をするな。
そちらが邪魔をしないのであれば
私も邪魔をすまい。
そしたらセカイは自分の一部。
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