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21世紀枠で甲子園に出場した元主将が高校野球を考える#3

選抜高校野球大会で惜敗した川島高校。大会後、選手たちは燃え尽きていました。県春季大会1位校との「チャレンジマッチ」では記録的大敗、春の四国大会では初戦敗退と心は折れました。それでも続く高校野球。最後の夏の大会まで駆け抜け、春夏連続の甲子園出場に届かなかったその瞬間、私は悔しさよりも、充実感で満たされていました。
(#2からめちゃめちゃ時間が空きました笑。#3は最初の方は1年前に書いていましたが、書く気が失せていました。。が、このたびさあーっと書きました。推敲が甘いです。書きたいと思った時に書き上げる、感情が乗った文で、最後を締めようと思います)

燃え尽きていた

甲子園出場校と同じ時期に行われる県春季大会の1位校が戦うチャレンジマッチ。甲子園出場校が勝つのが常でした。実力があるからです。しかし、川島高校はケガをしたり、練習に来れなくなったりした選手が相次ぎ、万全ではありませんでした。そもそも実力がなかったチーム。結果は当然だったのかもしれません。

私はチーム事情から捕手を務めました。捕手不在となったチームで名乗り出ました。好奇心だったのか、甲子園で敗れた責任を感じていたのか、二塁を守るのが怖かったのか。不慣れな捕手にリードされる経験の浅い投手は打ち込まれ、打線も沈黙。当時の新聞では「記録的大敗」との見出しが躍りました。

甲子園出場校は恵まれていたことに、四国大会にも出場できます。結果は初戦敗退。強豪校に歯が立ちませんでした。この2試合で、実力不足を改めて自覚したのでした。

甲子園から帰った後、チームには「もう俺たち野球辞めてもええよな。甲子園行けたし」という声がありました。私もエラーをしたトラウマから逃げ出したかった思いがありました。

県総体で復調の兆し

転機は6月の県総体でした。ブロック別で戦いますが、インターハイはありません。それでもチームは一戦必勝の覚悟で臨みました。初戦は池田高。西部ブロックで勝手にライバル視していたチームに全力で挑み、川島らしい試合ができ、競り勝ちました。続く脇町高戦で敗れたところが、やはり地力のなさを感じさせますが、少しだけ、復調の兆しが見えました。
高校野球ドットコムさんが記事にしてくれています。

私は甲子園でのエラーのせいで、ずっと「守備をしたくない」「もう辞めたい」などと弱音を吐いていました。部員には「いいわけ(言い訳)いすけ」という不名誉なあだ名まで付けられていました。ゴロが怖くて怖くて仕方ありませんでした。おそらくこれがイップスなのでしょう。それでもノックを受け続けました。思い返すと、春以降、試合で大事な場面でエラーをした記憶はありません。最後の夏もノーエラーでした。不細工でもしっかりアウトにできていたのだと思います。

徳島商撃破

そしていよいよ最後の夏を迎えます。過去2年は初戦敗退。夏に勝ちたい。そんな思いを抱き、鳴門オロナミンC球場に向かいました。

初戦は、総体で敗れた脇町高。序盤にリードを許し、周囲には初戦敗退になると思われていたようです。

(高校野球ドットコムより)

しかしながら、私は「エラーで崩れて失点したのではないのだから、終盤にチャンスはある。攻撃では投手に球数を投げさせて疲れさせるよう、ボール球に手を出さずにいこう」と戦っていました。たぶん、みんな同じ気持ちだったと思います。その思いが通じたのか、終盤に試合は逆転勝ち。後輩の2年生投手の台頭もあり、1点差ゲームをものにしました。

2回戦は阿南工業に勝ち、準々決勝ではなんと、名門・徳島商業に初勝利を挙げました。試合後、徳島商の主将からは「徳島商に勝ったのだから、甲子園に行けよ」と千羽鶴を手渡されました。重かった。私とは違い、野球で進学し、名門校のプレッシャーを背負っていた彼の言葉と、悔しさいっぱいの瞳は今でも忘れられません。次も勝とう。「甲子園」という言葉は口に出しませんでした。出し途端、夏が終わってしまうと思ったから。でも、このときは、「俺たちが甲子園に行く」と宣言すべき時だったのかもしれません。

悔いはないと言えば嘘になるけど、僕たちは胸を張っていいと思う

準決勝は鳴門高。コールド負けでした。

(高校野球ドットコムより)

あっという間でした。大きな波に襲われ、抵抗できずに飲み込まれた感じでした。声を出して雰囲気を変えようともどうにもならない。あっけない幕切れでした。鳴門は強かった。「終わるときはこんな感じなのか」。高校野球が終わり、やはり悔しくて、悲しくて、涙が流れました。後輩たちが泣いてくれている姿を見て、「やってきたことは間違ってなかったかな」と思いました。後輩たちは実力がある。きっとチームは飛躍する。そう思えることがどれだけ幸せか、今なら分かります。

「お前たちは弱い」と言われてスタートした新チーム。甲子園での接戦、チャレンジマッチでの記録的大敗、夏のベスト4。県大会で優勝したことはないし、全国レベルで勝ってもいない。不名誉な記録もつくった。「21世紀枠」の、弱いけど運のよかったチーム。

その通りです。本気で甲子園を目指して高校に進む球児のようなメンタリティーはなかった。私も「甲子園」なんて別に目指していなかった。ずっと野球を続けてきて、これからも続けるんだろうなと思って入部した。その結果、怒濤の、夢のような、時間を過ごすことができたのは幸せだった。もっとこうしていれば、ああしていれば、は尽きない。いまとなってはめちゃくちゃ反省がある。でも、私たちはしっかり胸を張っていいと思う。

向かい風を受けながら

3回連載の結論です。私が高校野球で学んだこと。それは「逆境こそ進むに値する。そうすれば道は拓ける」ということです。

自ら望んだ結果とはいえ、高校野球で勝つことを目標にした以上、常に逆境でした。自分も含めて選手の能力は低い、伝統はない、環境も悪い。与えられた場所で工夫をこらし、やっていることを信じて突き進む。信心深さが試された高校野球生活でした。「凡事徹底」という言葉を、当時の監督から押してもらいました。当たり前のことを当たり前に、徹底してやりなさいという意味です。練習はもちろん、学校生活も、清掃活動も、普段の生活も、ストイックに野球のために生きる。大げさではなく、命を懸けて野球をしていました。野球中心の生活でただ上手くなるのを目指すのではなく、ひたむきにやってるいることを信じ、本番では恐ろしいほどの集中力を発揮してプレーする。そして、結果が付いてきました。

悪く言えば、目標からの逆算がなく、闇雲にひた走り、もっと正しい道のりがないかを模索していなかったと言えます。この要素があれば、勝てた試合があったかもしれません。さらに成長できたかもしれません。でも当時は、ここまで考えられませんでした。私の、チームの、限界でした。

でもこれでよかったと思います。なにかに没頭し、命を懸けるほどのものがある時間を過ごすことは、幸せなことです。周囲の支えは、自分が思っている以上にあったに違いありません。逆境を逆境と思わず戦い抜いたチームは誇らしい。そして、この経験から、逆境こそ人を強くするのだと確信しています。つぶれないよう、信頼できる仲間と共に逆境を選び、逆算して目標を達成していく。そんな姿勢が、大人になってからは大事にしています。

高校野球の経験は財産であり、原点です。いまでは新聞記者として仕事を続けられています。これからも向かい風が吹く場所を選んで立ち、力強く歩んでいきたいと思います。

(おわり)


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