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徳島大硬式野球部に入っていた時の話

徳島新聞(2021年3月3日付)に、私が所属していた徳島大硬式野球部の記事が掲載されていました。読んでいてよみがえった当時のことを、記録を兼ねて書きます。

私は大学2年で野球を辞めました。籍が残っていたのか、その後も仲間が試合に誘ってくれたり、先輩の卒業式に声を掛けてくれたりしました。でも不義理な私は全て断り、フェードアウト。小学2年から13年間も続けた野球を辞めるとどうでしょう。心がすっと晴れ、まるで生まれ変わったようでした。野球以外にも頑張れることを見つけよう!とにかくキャンパスライフを楽しもう!となっていくきっかけが、徳島大硬式野球部でした。

自主運営する野球部

上の記事にもあるように、大学野球は自主運営が基本です。例えば、四国地区大学野球連盟に試合結果の報告、部費の徴収や道具購入などの会計、練習場所(総合グラウンド)の予約、教員に顧問の依頼などがあり、このほかにも部室の鍵を管理したり、試合後の打ち上げの店を予約したりと、運営のすべてを自分たちでやります。

ですが、私はこの「自主的」な活動を積極的にやっていませんでした。というか、自主運営を理解しておらず、面倒だからと仲間がやっているのを見ているだけでした。申し訳ない。それでいて、「特に飛び抜けて野球が上手いわけではない甲子園ボーイ」が試合を楽しむだけという、なんともダサい感じでした。幸い、部員みんなが優しかったのでいじめられなかったのですが、私が逆の立場だったならそんなヤツ許しません。笑

この自主運営は代々、先輩から学び、嫌々でもやることによって伝統として受け継がれていくのだと思います。そうしないと部活動が成り立ちません。部を次の世代につないだ同期や先輩は、素晴らしいと思います。

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サングラスを頭に付けるスタイル、ちゃんと止めない守備用皮手、なんとなく付けたネックレス、伸ばした髪。全てがダサい当時の私

私の「徳島大硬式野球部」

記事にあるように、徳島大は2011年秋、四国地区1部リーグに参戦。愛媛県の坊っちゃんスタジアムでも試合がありましたが、私は高校時代に四国大会で経験しており、浮き足立つ仲間を横目に「来たことあるんだよね~」と調子こいていました。高校時代に21世紀枠で甲子園に出場した時は、主将で3番・セカンド。でも、選手としての能力は平均的で、大事なところでエラーするような選手です。高校時代の「貯金」でもどうにもならない投手が1部リーグにはいます。木製バットに変わり、投手のクオリティーも高い大学で良いプレーをするには、練習が欠かせません。練習環境だって大事です。

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坊っちゃんスタジアム。美しい

当時、徳島大の練習グラウンドは他部と共有。ぼこぼこの白土で、草も生えてます。練習前にメジャーで塁間を測って移動ベースを置きます。練習に集まる人数は多くて10人前後。2、3人なんて日も普通にありました。試合前には割と集まりましたが、みんな忙しいようでした。私はバイトをせず、結構真剣に高校時代のように練習を積もうと、素振りしたり、ネットに投げ込みしたり、壁当てで守備練習をしたりしていました。が、やってても上達するとは思えないし、事実上達もしない。気分は下がる。面白くない。「なにやってるんだろう」

体力がなかったので、試合前後の調整も大事でした。しかし、JAバンク徳島スタジアム(蔵本)まで自転車で試合に行ったり、試合後にマックで腹を膨らませたりしていました。「試合前に疲れるやん」「体に良くないのでは」。どんどん辛くなりました。

さらに心を折られる事件が。顧問の教員にノックを受け、フィードバックをしてもらった時のこと。メモにこう書かれていました。「捕り方が根本的におかしい」。ほかの部員は軽く笑い飛ばしていましたが、私にはショック過ぎました。いやいや、高校時代に真面目に毎日練習してきて根本的におかしいなら、今までやってきたことは何だったんだ。たしかに甲子園でトンネルし、トラウマがあり変なのかもしれない。それにしても腑に落ちない。じゃあちゃんと教えてくれ。どこがダメなのか。正しい捕り方とは何だ。誰か教えろください。

さよなら甲子園ボーイ

9番、DH。私の大学時代の出場時のオーダーです。守れないし打てないけど、9番目に出すならこいつ、という苦肉の策。私がチームを引っぱれるほどの活躍ができる訳もなく、1部から2部にすぐに降格。自分の力で強くしよう。そんな思いを抱いたこともありましたが、すぐに消えました。「楽しくない。時間がもったいない」

そうして、辞めました。

私の野球人生の最後は、このようにビミョーでした。小学校はスポーツ少年団、中高は学校部活動で野球をやっていれば、周りの大人が進路を示してくれました。でも大学は、野球を頑張っても、その後の進路は自分で考えなければなりません。自主運営が基本で、自ら練習し、練習環境も整えなければならない。そもそも、もっと野球を究めたいのであれば大学野球に集中できる進路を考えるべきでした。高校時代、その辺を踏まえた進路について助言をもらったのかもしれませんが、当時はよく分かっておらず、いまとなっては記憶もありません。

徳島大硬式野球部のOBには、野球関係で挑戦を続けている人もいます。教員になり子どもに野球を教えている同期や、監督として部を率いている先輩、徳島インディゴソックスでNPBを目指した後輩もいます。徳島大野球部で何を得たかは人それぞれ違いますが、私は野球とのお別れの舞台となりました。

私にとって、徳島大硬式野球部は、高校までのように野球に打ち込めばいいだけの場所ではなく、野球とどう向き合うのか、自分が本当にしたいことは何かが問われた場所でした。「野球を辞める」ことを通して、高校も大学もなんとなく進学し、なんとなく生きてきた私は、「自分の頭で考えて決断する」という大きな経験ができたのでした。

おわり


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