note始めました

子どもが小学校に入学したことをきっかけに教育について考えることが増えてきました。結果色々な本を読み始めたはいいものの、いつものごとく読みっぱなしで、なかなかInputしたことやそこから考えことを整理できていないので、Outputしようと思いたち、せっかくだから誰かに読まれるかもというスリルを味わいながら書く方がよいかと思ったので、noteを始めました。

教育について考え始めたきっかけ

教育について考え始めたきっかけは子どもの小学校入学と冒頭に書きましたが、なぜそれがきっかけになったのか。子どもからこんな問いかけをされたら今の自分には答えられないのではと不安に思ったからです。
「お父さん、なんで勉強しないといけないの?なんで学校に行かないといけないの?」
もっともらしいことを言えそうな気もしなくはないですが、この問いへの答えが「もっともらしいもの」でよいのか。何か真摯さに欠けてやしないか。というより問いから逃げていないか。そう思っているときに「冒険の書 AI時代のアンラーニング」(孫 2023)という本に出会いました。
本の冒頭にこんなことが書かれていました。

「ねえ、なんで学校に行かなきゃいけないの?」
そこで僕は思わず黙り込んでしまった。そうたずねられてうまく答えられない自分に気がついてしまったんだ。

12頁

私と同じ問題意識を持つ著者は、その問題にどう向き合っていったか。教育にまつわる様々な問いを深めることで著者なりの答えを出していました。学校の起源に始まり、子どもの起源や能力の起源、さらには努力の意味等、様々なことを経由しつつ、教育の目的や学ぶ目的・意味に行きつきます。
内容自体はご自身で確認していただければと思いますが、内容そのものよりも(もちろん内容も素晴らしいです)問いを立て探求していく、その過程で生まれた新たな問いに向き合いまた探求していく。この循環が読んでいて心地よかったです。著者は「問い」についてこんなことを言っています。

先が見通せない難問だらけのこれからの時代において大事なのは、論理的に解決策を出そうとすることではなく、「良い問いを立てる」ことだと思うのです。
(中略)
学校に行く行かないはまったく関係ありません。学びの根底に流れる自由な精神こそ、人間を自由にする技、すなわち「リベラル・アーツ(liberal arts)」なのだろうと僕は思います。
「答えようとするな。むしろ問え」

247頁

教育にかかわる問いを探求する

子どもから探求のきっかけをもらったので、この著者のように自ら問いを立て探求する旅に出ようと思います。
旅の目的は単純です。「なんで勉強しないといけないの?なんで学校に行かないといけないの?」と子どもから問われたときに、「お父さんはこう考えているよ」と自分が納得した言葉で語れるようになることです。
おそらく色々と脱線するかと思います。というか読んでいる本は既に脱線しまくっています。旅はそういうものだと思うので自分のペースで自由に探求したいと思います。
まずは以下の問いから始めたいと思います。

「子どもが受けている学校教育というものは何を前提としているのか?」

参考文献
孫泰蔵. (2023). 『冒険の書 AI時代のアンラーニング』. 日系BP.


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