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essay #8 教会

私の幼稚園の隣はかなり大きなカトリック教会があって、幼い頃から食事の前後や帰る前にお祈りをするのがルーティンだった。
年間イベントや行事の中に混じって「復活祭」や「イースター」があったのは言うまでもない。
いわゆる童謡や童話と一緒に、聖歌を歌い聖書にまつわる絵本を読んだ。クリスマスミサでは、大聖堂でキリスト生誕の劇をやった。

日曜の10時はミサがあって、卒園してからも学校とは違う子どもたち同士のコミュニティがあり、友達に会いに行くような感覚で中学生までミサに参加していた。
終わると日曜学校があって、大学生や社会人のリーダーが毎週色々な企画をしてくれた。歳に関係なくタメ口で喋り、男女や障害の有無、時には国籍も超えて、一緒にご飯を食べ、聖歌を歌い、工作やレクリエーションをし、たまには聖書を読んだ。
それも終われば、親たちが帰る合図をするまで、神父の執務室でゲームをしたりYouTubeを見たり、敷地内でキャッチボールやかくれんぼをして遊んだ。

年に何度か、日本中のカトリック教会から信徒が集まるイベントがあったし、インターナショナルデーにはロシアや韓国などからも信徒が集まって、各国の料理がテント出店してお祭りが開かれた。ボルシチを初めて食べたのは、その時だった。

宗教というと規律が厳しいイメージをよく持たれるが、司祭というのもあくまで「職業」のひとつであって、警察が制服を着たり、建設事務所が朝礼をしたりするのと同じ感覚で、司祭服を着たり、決まった時間に祈ったり、結婚しないルールを守ったりしている。

なので、よく司祭とリーダーが一緒にお酒を飲んだり、司祭が趣味でバイクに乗ったりするのを目にした。一緒にキャッチボールもしてたし、YouTubeを見てアイドルについて教えたりすると笑って聞いてくれた。親戚のおじさん、お兄さんのように、いろんな話を聞いてくれる優しい人たちだったから、たくさん甘えさせてもらい、可愛がってもらった記憶がある。


さて、私は小学1年生になるころ幼児洗礼を受けて信徒になったけれども、今思うと私にとって教会は、家とも学校とも違う第3の社会だった。

途中で「神というものを信じているわけではないな」と気づいたり、部活が忙しくなったりして、高校生あたりから毎週日曜に教会に通うことは無くなっていったけれど、間違いなく私の価値観の一部を作ってくれた場所だったと思う。

何よりも「受容」を学んだ。
キリスト教の根底に流れている価値観は「愛」と「赦し」だ。どのような人であっても愛される価値があり、たとえ他人から痛めつけられても、右頬を殴られたら左頬も差し出すくらいの深い愛を持つようにと教わる。そしてたとえ途中まで間違いを犯していても、それを認め、改めようとする人は愛によって許されるのだと。大切なのは経済的な豊かさではなく、心の豊かさであり、互いに愛し、赦し合いなさいと言われて育ったわけだ。

現実社会を生きているとそんなに物事は甘くないと思うことももちろんある。
私は神がいるとは思っていないし、いわゆる宗教という単語で多くの人が連想するように、何かを叶えたいと思って見えないものに縋ったり、願ったりすることもない。
最後に決めるのは自分で、自分の手によってしか人生を動かすことはできないと分かっているからだ。
だから成し遂げたいことが叶っても、神らしきものに感謝することはなく、あくまで人間同士で生み出した結果だと思うタイプに育ってきた。

それでも、教会にいた様々な背景を持つ多種多様な年齢、性別、能力、国籍の人たちから、違いを受け入れること、会話を通じてトラブルを解決すること、より長く一緒に過ごすためのコミュニケーション、相手を柔らかい気持ちにする言葉遣いや態度、を学んだ。

それはあくまで、教会に居た人が「みんなが良い人だったから」ではない。
「愛と赦し」を前提にした環境だからこそ、他の環境では弾かれてしまうような人も含め、とにかく色んな人がいたからだ。

どんなに変な人も、近寄りがたい人も、社会に適合できていないように見える人も、存在してはいけないというルールはない。そう聖書が、聖歌が、言っている。

私の場合は側から見たら宗教だけれども、たとえばボーイ/ガールスカウトや自治会/町内会、市民サークルや親の職場仲間などで学校外の友達ができた人のなかには、そこが第3の居場所だった、と思う人も多いだろう。
きっと、コミュニティとしての中身はそんなに変わらない。

大人になって住んだ町で、教会を会場にしたクリスマスコンサートがあったので行ってみたら、最後にオルガンの伴奏で聖歌を歌う流れがあって、その懐かしい音色に色んなことを思い出し、思わず涙が溢れた。

姉が幼稚園に通い始めた年から数えれば、0歳から丸15年ものあいだ、ほぼ毎週パイプオルガンの音を聴いて育ったのだ。
初めて訪れたその教会にあったのはさすがにパイプオルガンではなかったし、何ならプロテスタントの教会で流派も違ったけれど、そんなことはまるで関係なかった。また来てくださいね、待っていますよと、誰にでも言っていいのが本来の宗教の寛容さであり、仏教徒やイスラム教徒も行っていいのが教会という場所だ。と、私は思う。

あのキャンドルや、
あの赤い絨毯や、
神父の白い服や、
献金少女のレースのベールや、
石の大聖堂をたまに思い出す。

久しぶりに聞いたオルガンと参加者がそれに合わせて半分見よう見まねで歌う聖歌の音色は私にとって、今も心の奥底に息づいている大切な価値観を思い出させてくれる、美しい音色だったから。

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