星作りと跳ねうさぎ亭①

「星作り」の最初の物語。
これも大学時代に、講義の課題で書きました。
今読み返して、改めてお気に入りに。

「ラパン・アジル」とは実在したフランス・モンマントルにある歌酒場で、昔は本当に芸術家たちの憩いの場だったとか。
このお店が絵画に描かれているのを見て知り、おはなしに取り入れてみました。

「ラパン・アジル」って言いたいだけのところがあります笑。
店名が「跳ねうさぎ」だなんて、可愛らしいですよね。

こちら、少ーしだけ長くなるので続きます。
同じマガジンに追加していきますね〜。

お楽しみください!



 積もった雪の下に物音は閉ざされていました。有明の冷え切った空気の中、深夜に降って薄く凍りついた雪のひと粒ひと粒が、まだ明けきらない朝の新しい光を照りかえしていました。
 東の空が赤く滲み太陽が半ば顔を出した頃、静かな町に白いまっさらな道を踏み壊す軽い足音が聞こえはじめました。道の向こうからまずひょろ長い影が、そしてすぐに短い影が揺れながら地面に落ち、どんどん町の中に入ってきます。
 ふいに短い影が大きく動いて、帽子を被った小柄な少年の姿がそこに現れました。
「さあ!こっちですよ。早く、早く!」
 少年が後ろを振り向いて、手を振りながらしんと冷えた朝に澄んだ声を上げました。
 ひょろ長い影はゆっくりと伸びて、やっぱりひょろ長い男がようやく姿を見せました。白い息を吐き、細い左肩からななめに荷物を下げています。口元にはうっすらと微笑みを浮かべています。しかし、どことなく神経質そうな男でした。
「星作りさん!早く!」
 少年は飛び跳ねるように男を導きます。
 男は帽子のつばにちょっと手をやりながら、ざくざくと雪の道に大きな足跡をつけて少年の後に続きます。
「もうすぐです!」
「そんなに急がなくても大丈夫だよ」
 星作りが少し疲れたような声で言いました。
「それに、そんな大声をあげちゃいけない。まだ朝早いのだから」
「平気ですよ。もう夜は明けているんだから。ほら!」
 少年が今しも通り過ぎようとする小さな家の煙突を指し示しました。そこからは早くも細く煙が立ち上っています。
 星作りは立ち止まってその煙を見上げ、薄い色の目を細めました。
「早く!もうすぐそこなんだ!」
 それを聞くと、男は微笑を浮かべたまま少し離れたところから手を振る少年に向き直り、また一歩凍った雪を踏みしめました。
「ここです!」
 少年が手を広げて見せたのは狭い路地裏の前でした。
「ここが芸術家たちの隠れ家、跳ねうさぎ亭、ラパン・アジルです」
 男は黙って少年の示した路地裏を覗き込みました。そこは一見、行き止まりのただの裏路地でした。しかし少し入っていくと薄暗い奥まったところに数段の階段があることがわかります。それを下りると深緑色のドアがあり、左上、ドア枠の外側に鉄の短い棒が突き刺さっています。そこにはうさぎを模した小さな看板がぶら下がっていました。
「ラパン・アジル」
 裏路地から戻ってきた星作りが少年を見下ろして言いました。
「確かにここは跳ねうさぎ亭だ。連れてきてくれてどうもありがとう」
 少年はにっこりと笑い返しました。
 しかし、と男は呟きます。
「酒場に入るには時間が早すぎるな」
「ここは宿屋も兼ねているんですよ」
「うん。でも、それにしたって」
 男は建物の煙突を見上げました。そこからはまだ煙は立ち上っていません。
「早すぎる」
 星作りは表へ出てきて建物の壁にもたれると、そのまま気にせず雪の積もった地面に腰を下ろしました。口から長く白い息が吐き出されます。
「宿屋の朝は早いんだ。すぐに開きますよ」
「うん。そうだといいね」
 少年は好奇心に輝く目で星作りを見つめながら、彼の隣で同じように壁にもたれかかりました。
 今や白い町は暁の光にあかあかと染め上げられていました。道の向こうにある痩せぎすのかさかさした木に小鳥が飛んできて、あちこちの枝に飛び移りながら甲高く鳴きました。
 星作りは目を閉じて、ぼろぼろのマフラーに顔をうずめるようにしていました。白い息がその隙間からしゅうと長く吐き出され、しばし間があって消え、また吐き出されては消えました。
 少年も黙って寒さに腕をさすりながら息を吐いていましたが、星作りがぴくりとも動かないのでそろそろと彼の顔を覗き込もうとしました。
 ふいに星作りの目が開いて、ふたりははたと間近で見合いました。
 少年はぎょっとして、でもどうしてかとっさには目を離せないで、ゆっくりと身を引きました。
 小鳥が鳴き声を上げながら東の白んだ空に飛び去ります。再び町に静けさが下りました。ひょろ長い男と小さな少年、ふたりの呼吸する音だけが開きかけた朝の底に流れていました。
 しばらくして、星作りが気まずそうに口を開きました。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかった」
 少年は星作りの帽子を見下ろしました。
「ぼくの?」
「うん」
 こちらを見上げた星作りの不思議な色の目と目が合いました。少年はまた、彼と見合ったままぎくりと身を引きました。
「すまない」
 星作りは気がついてすぐに目を伏せました。
「ごめんなさい」
 少年は慌てて謝りました。
「なんでだろう。ぼくなんだか、あなたの目を見ると、こう、春先の雪解け水の流れに手を入れたときみたいにひやっとしちゃうんだ。どうしてかな」
 それを聞いた男はちょっと顔を上げました。
「あ、でも、ぜんぜんいやな感じではないんだよ!ただ、ちょっと驚いてしまうだけなんだ。なぜだかは、よくわからないんだけど」
 少年はどぎまぎとして星作りの顔を見ました。
 男は突然うつむきました。しばらくして、彼の喉が鳴るかすかな音が聞こえてきました。少年はそっとそのひとの顔を覗き込み、ようやく彼が笑っているのだとわかりました。
「あのう」
 少年がおずおずと声をかけると、星作りはやっと顔を上げました。
「あなたの名前は?」
 少年は驚いて目の前の男を見返しました。
「あなたって、ぼくのこと?」
「もちろん」
 少年は戸惑いながら答えました。
「チムニー」
「チムニー。あなたは変わっている」
 チムニーは瞬きをして一度鼻をすすり上げます。そして頭を掻いて言いました。
「そうかなあ」
「そうだよ」
 男もおかしそうに言いました。そしてまた壁にもたれると、深く深く息を吐きました。


つづく

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