何度でも見失ってはまた見つける。
強い衝動が沸き上がってるときは、ニーズが満たされていないんですよねぇ。
ここんとこ、
「具体的な(仕事の)フィードバックをくれ!」
「存在の肯定とかいらんのじゃ、もっとわかりやすいレベルで評価してくれ!」
みたいなモードになっていて、親しい人にキャンキャン噛みついたりしていたのです。
それって、
自分の存在自体は受け入れていて、プレゼンスが人に与える影響も理解している。けど、何か具体的なアクションについては自信が無くなっていて、外部から補強したい!補強してくれよ!というニーズの表れなわけで。
何か問題が起きたわけでは一切ないのです。何も起きていない。むしろ仕事も家庭も色々順調だ。ありがたや。
起きたのは、私の体調不良と、それに伴うメンタルのダークサイド堕ちだけ(久々)。
気にするのを辞めたこと、
価値を感じないから距離をとった世界、
意味を感じないから棄ておいたモノサシ、
そういうものに、弱っているときはなぜかまたグググっと自分を近づけようとしてしまう。そういう「確からしいこと」と距離のある自分、距離をとらないと生きていけない自分を、とても無価値に、無力に思えてしまう。
あんなに勇気をもって離れたことなのにね。
これは、まだ残っている悪い癖です。
そして、弱っているときはこれが出てくる。
分かったのは、
・睡眠が足りない
・体調がイマイチよくない(気圧の変化とホルモンバランス)
・ひとりの時間(タスクに追われない)が足りない
・サウナが足りない
これらがダークサイド堕ちの主犯人だってことw
まじで精神の健やかさを易々と奪っていくわ。
んー、寝よ?自分。サウナいこ?w
きっと間もなく私はまた浮上してくる。そのことは微塵も疑っていない。そしてブライトサイドのエネルギーが強い人は、ダークサイドも同様にエネルギーがでかいので、落ちるときは急転直下、派手に落ちていくものなのだ。精神的にかなり安定していると思われがちな私でも、その実はこんなアップダウンがどうしてもある。人間なので。バイオリズムがあるので。
でも私はそれでいいとも思ってて。このちっぽけで振り回されながらも生きるエネルギーがやたらと凄まじい人にしかできないことがあると思ってて。悟りにはまだまだ遠い、でも、これが誰かを圧倒的に勇気づけることができるのもわかってる。それはもう十分にわかってる。こうして書くことで誰かしんどい人に届くといいなとも思っている。
私は時々猛烈な無力感に襲われる。でも、誰かの助けになっている実感や、愛されて求められている実感も確かに持っている。社会からはみ出した生き方を大事にしながらも、時々そのことがすごく怖くなったり孤独を感じたりもする。でもこういうことから目を逸らさないで、その場に立ち続けているからこそできること、見せられる姿があるとも信じている。
そしてこういう自分を丸ごと見せられる相手、受け止めてくれる相手、信じて待っててくれる相手がいることもわかっているし、そんな自分はものすごく幸せ者だとも思っている。
こういう気持ちを言葉で残しておこう。ちゃんと。
読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。