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ボディイメージのコペルニクス的転回。

今、断食合宿に来ています。ちょっと、内臓も外側も休ませたいなと思い、家族に心配されながら(子どもたちは、「食べないと死んじゃうよ~」と心配してたけど、大丈夫や、かーちゃん、蓄えがあんねん)。断食自体は初めてですが、なかなかいい感じ。このことはまた別で書こう。

で、ちょっとボディイメージについてのコペルニクス的転回がありまして。いつもこんなこと考えてはいたのだけど、この度すごーーく意識化させられたので、書いてみる。

この私が筋肉質だと・・・?

断食施設でマッサージを受けていて、整体師の方に「女性にしてはかなり筋肉質ですね。何か運動してました?」と言われまして。「え??そうですか?えーと学生時代にダンスと、一昨年はパーソナルトレーニングと…」と返事していて、思い出したのが。

パーソナルトレーニングで最初の測定時に、トレーナーさんに
「え?測り間違いかな…骨格筋率、むっちゃ高いです!」
と興奮気味に言われたのですよね。測り間違いではなく、実際、アスリート並みの骨格筋率でした。

確かに大学4年間は競技ダンス部(注:かなり体育会)で踊ってたけど、17年前に卒部してからは大した運動もしてません。子どもを2人産んで全身ズッタボロ♡になってからは、もうあっちこちブヨブ(以下自粛)なので、当時はトレーナーさんの言葉を、「筋肉量が多い」とは受け取らず、「骨格筋率が高い=骨太ってことか!うん、全身の骨、確かに太いしな!」と理解しておりました。ずっと、日本の女性向けアパレルブランドが体に合わずインポート物を着てまして、「体の断面が筒型=骨太」と思ってたこともあり。

ところが、どうも、骨太ってことじゃなく、本当に筋肉質なようなのです。整体師さんが「こことか」「こことか」と筋肉を触りながら教えてくれたので、たぶん正しい。

これは結構、衝撃の事実でした。

ボディイメージがわりとずっとネガティブ

私、生まれたとき、体は小さいわりに頭が標準よりでかく、かつ、臍帯巻絡(首にへその緒巻き付く)で結構危ない状態で生まれ、すぐ医師に連れていかれたそうで。幼少期は毎日病院に通っており、自分に対するイメージは、「具合の悪い子」「すぐ熱を出し喘息発作を起こす弱い子」「頭がでかくてやせっぽちな子」でした。

頭がでかいでかいといわれて育ち(確かに幼少期の写真、体のバランス変w)、ついでにおでこも広く、目もぎょろっとでかく、お世辞にも可愛いらしい子ではなかったかと。

そして、幼少期病弱で、それゆえ色んな運動に臆病だったので、2歳下の弟(注:無謀)と比べられては、「運動神経が悪い」「どんくさい」と言われてきていた。自転車に乗るのも、走るのも、高いところから飛び降りられるようになるのも、確かに遅かった。「私は運動神経が悪いんだ」から、「体育の授業はつらい」「運動会のかけっこが苦手」になり、なんとなく「運動は苦手だから得意な勉強で頑張ろう」になった。

中学に入ってからは、自意識が芽生えてきて、外見に対しても、「自分はスタイル悪い、手足も短く太い、かわいくもない」と思うようになった。それでも好きになってくれる子もいて彼氏もできたけど、決して自分のボディイメージは良くなく、ファッション誌を眺めては自分にがっかりするような思春期(←正常)。喘息で運動は長時間できないので、部活はずっと茶道部。それはとても楽しかったのは別の良い話。

大学に入り、親元から離れ、競技ダンスがしたい一心で、まさかの体育会系部活に入部。当然まわりはスポーツやバレエ経験者で、ちょっと運動してはゼエゼエしてる私は先輩にかなりきつく当たられた。運動神経が悪く、体力がなく、スタイルが悪く、筋力も体幹も弱い私。でも、嫌われても自分の好きなことはしたい!という変なガッツだけはあった(それで喘息治療を根本からやり直し、4年間ダンスをやり続けられたのでそれもまた別の良い話)。

4回生の最後の全日本戦で、ファイナリストになれたのだけど、「運動神経が悪く体力がなくスタイルも悪く筋力も体幹も弱い」私がそんな名誉を得られたのは、ひとえに、運と、音感・リズム感・表現力の良さ(←ここだけはずっと自信ある)、そして根気強く私と踊ってくれたリーダーの努力の成果だ、と思っていた。

認識が、少しずつ変わっていった

覚えてるんですけどね、小学5年生のとき、50m走が9.5秒くらいだったんですよ。頑張って手足を動かしても、重くて前に進まなかった。なんか体がぎくしゃくとうまく動かなかった。

ところが、6年になったとき、何かふっと体の回路がつながったみたいな不思議な感覚があって、手足の動かし方がわかるようになり、50m走がいきなり8秒台前半に。ちなみに何も練習はしてない。(そもそも100m以上走ると発作出るので練習できない)。

その後どんどん足は速くなり、中高では運動会の選抜リレーのメンバーだった。高2で50m7秒台前半だったかな、とにかく、運動部に混ざって茶道部の私が選抜リレーの選手だったのが妙におかしくて覚えている。運動会でも、何人もゴボウ抜きして興奮した記憶あり。

当時、家族にはまともに取り合ってもらえなかったけど、確かに私の足は速くなった。あれは、私の成長とともに運動を司る神経回路がつながっていったのだろうかと思う。「運動神経の悪い、どんくさい子」という自分のイメージに疑問を持ち始めたのは、そのあたりから。でも、まだこの時点では「疑問」。


それから、競技ダンスの全日本戦のファイナル。あの場に立てたのはすごくうれしかったけど、他のファイナリストと比較してどうしても自分がかっこ悪く、スタイルが悪く、どんくさく見えて、しばらくは記録データを見るのが嫌だった。だけど、ずっとVHSで保存しておいたのを(時代!)、劣化が怖くDVDにコピーして、改めて見直したのが30代半ばだったかな。

そこには、キレッキレで踊る自分がいた。確かにモデル体型でもないし、他の細い子に比べたらむっちりではあるけど、リズム感や表現力だけじゃない、体幹も強いし筋肉も伸びやかだった。どう見ても運動神経良さそうだった。何も知らずにあの試合で私を初めて見た人は、「運動神経が悪く体力がなくスタイルも悪く筋力も体幹も弱い」と自分自身を思っている人には見えなかっただろう。これは、だいぶ時間が経ったからこそ客観的に気づけたことだった。


パーソナルトレーニングも、私のボディイメージを変えてくれた。私は、痩せたい一心で、ハードな練習メニューを汗で床がびしょびしょになるくらい頑張ってこなし、トレーナーの先生はそのストイックさに興奮して負荷をあげていった(本人談w)。

やっていくうちに、ウエイトの負荷があがる、やれる回数が増える、息が上がらなくなる・・・これは自分の体に対する信頼だった。私は自分の体を信頼しはじめていた。弱くてすぐしんどくなって休んでしまう、ヘタレな体ではない。過信なんて死んでもできない、けど、私は自分の体を信頼していいんだ、というのは、素晴らしい発見だった。あの時、37歳。


私は幼少期、確かに痩せていたし体のバランスも悪かったし、すぐ発作や熱を出していたし、色んな運動が怖くてチャレンジできなかった。

でも、成長とともに、体は強くなり、体のバランスもそこそこよくなり、喘息もコントロールできるようになり、色んな運動にチャレンジして結果を出せるようになった。

実は運動神経はかな~り良かったし、体幹も強く、そして今日わかったのは、筋肉もしっかりついていた。これは嬉しい驚きだった。


すべては成長とともに、だとは思うのだけど、これがもし、もう少し前から持てているボディイメージだったら、どんなにか私の選択肢は広がったことと思う。もっと、色んなことにチャレンジできただろうし、自信を持って(たとえ失敗しても)色んな経験を積むことができただろう。40歳になって、遅いことはないけど、でももうちょっと早くイメージを変えられていたら・・・とも思う。

自分を呪詛で縛らないでほしい

私は自分のネガティブなボディイメージを上書きするのに、たぶん35年くらいかかっている。もちろん、家族に言われた言葉が発端だし、同級生や先輩からも外見を揶揄されたりと、今思い出しても嫌な思いもしたのだけど、でも、その言葉を内包して、自分のネガティブなボディイメージを増強するのに使っていたのは自分。自分で自分に呪いをかけていたのだと思う。

夢枕獏の「陰陽師」シリーズの最初の話が、簡単にいうと「名は呪いだ」という話なんだけど、あれを読んだ時も、ものすごく心に刺さった。「ああ、これか・・・私は、自分のことを色々な呪詛で縛り付けているな」と。


私は、実は、アスリートのような体にずっと憧れている。華奢なモデル体型ではなく、筋肉がきれいについたメリハリのある体を美しい、と思う。

今もまだ喘息の薬は吸っているし、人並みに体力があるかと聞かれたら、うーん、微妙?ではあるけども、でも、私が自分に対して持っていたイメージは、もう覆せている。

ので、これからの人生で、筋肉がきれいについたメリハリのある体をしたオバハン&ばーちゃんを目指すことに、障害はなくなった。そんな体で、色んな運動をして、汗をかいて、大笑いして、元気に生きていきたい、と、素直に思えるようになった。良かった。今日はいい1日だった。


そして。今私は、自信のある人に見られることが多い。でも、こういうことを書くことで、誰かのネガティブなセルフイメージ、呪いも、ぶっ飛ばせたらと思う。自分に呪いの言葉を使っちゃだめだ。どうしても使っちゃう人は、私が代わりの言葉を使います。一緒に呪いを解いていきましょうぜ。

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。