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痛みは私の目と耳から入り、みぞおちで止まった。

画像は、サウナいきたいなぁ。という気持ちの表れ。


さて、先日のカウンセリングのことを、残しておきたいなと思う。

カウンセリングのお仕事は、本業副業ボランティア問わず、ライフワークとして、院を出てからのこの15年ずーっとやってきている。
でも守秘義務があるから、印象的なことがあってもなかなか書き記せないのがジレンマ。

でも、私の身に起きたことという切り口からなら、書いても良いかなと思うので、書いてみる。

暗い分断に落ちそうになっている人がいる

先日、ある企業からのご依頼でカウンセリングをしたのは、精神疾患が理由で退職されたばかりの方。クリニックを何度か変えてもなかなか症状が良くならないという。

私は企業人事を経験しているので、そういう方を会社がどう扱うかを、新卒時代から嫌というほど見た。最初の会社を早々に辞めた理由はそこにもある。
でも、私にご依頼をくださった企業様は、退職せざるを得なくなった社員が、その後なんとか回復し、再び社会復帰できるよう、と、バトンを私に託してくれる。
私はそのバトンの重さを感じながら、クライアントに会いに行く。


一見、「ふつう」に生活しているけども、実は生きづらさを抱えている、本来ならばしかるべき支援が必要な人が、世の中にはたくさんいて。企業や学校に在籍している間は、そこを介して社会と繋がっていられるし、(程度はまちまちだが)サポートも受けられる。

だけど、そこから一度離れ、支援の輪から出てしまうと、なかなか再び繋がることは難しい。特に精神疾患が理由の場合は、自分から繋がりに行くのは至難の業。次の世界との間に横たわる分断に、先の見えない闇に、落ちていってしまうことも多々ある。それは、私はさんざん、支援者として目の当たりにしてきた。

分断に落ちる前に、繋がれるか

なので私は、その人が落ちそうになっている暗い穴、分断の淵に、ひょっこりと、なんだか陽気な感じで現れようと思う。

卒業とか退職、結婚とかのタイミングで、分断に落ちる人が多いなと思うので、そのタイミングを自分で掴みに行こうとも思う。

私のいいところがあるとすると、フットワークが軽いことと、初対面の方にも、なんだかこの人は何を話しても大丈夫そう、という不思議な信頼を持ってもらえること。なので、繋がってもらいやすい。

私と繋がる、繋がり続けることで、私を媒介、あるいは踏み台にして、その先の支援、治療、社会と繋がってもらうことができる。

いつか、「生きてるって、働くって、良いものだなぁ、自分ってまんざらでもないなぁ」って思ってもらえるような、流れのきっかけ、どこかのささやかな、でも意味のある接続詞でいたい。そう思っている。

 
先日のクライアントも、最初とても緊張されていたけど、帰る時には色んな感情が出ていて、笑顔で次の約束をして帰っていかれたよ。嗚呼、よかった。

貴方のかわりに、私の感じたものを伝える
 

クライアントは、色々な話をしてくださった。

社会に出てからの、仕事の場での体調不良は、クリニックでも何度も聞かれて話したそうだが、それ以外のこと、それ以前のことは何も聞いてもらえなかったので、カウンセリングとはそういうものだと思っていたらしい。でも、聞かれていないところに自分は向き合いたいと思っておられた。

それでは私は、クライアントが本当は話したいと思っていること、そこに勇気を注ぎ、あたたかく待つだけである。

そうしたら、子どもの時の体験を話してくれた。
周りからは非常にわかりにくいタイプの虐待を受けつづけて、それが理由で思春期に辛い別れを経験した人だった。


クライアントの表情と言葉を、私は目と耳から取り入れる。頭で、心で、感じるままに感じて、ついていく。

そうすると、呼吸がしにくくなり、みぞおちあたりで全部が止まってしまった。胸がつっかえる。いやな圧がかかる。目からは涙が出てきた。こわい。こわい。かなしい。



クライアントが語り終えた。

私は私の体と心の反応を、そのまま伝えた。
それから、心の奥底から出てきた気持ちを伝えた。

「こわかったですね」
「よく生きのびてくれましたね」
「あなたはサバイバーです」

クライアントは、ちょっとキョトンとして、それから目を見開いて、少し涙を浮かべた。それから言葉を返してくれたが、それは私の胸にしまっておく。



クライアントが受けた心と体の痛みは、それはその人だけのものである。
誰にも、同じようにはわからない。
でも、クライアントの脳は、持ち主の命を守るために、痛みや恐怖を感じなくするやり方で、生き延びてきたのだ。
だから、クライアントにも、その痛みを思い出すことはできない。
それどころか、今も、自分が日々感じているであろうことを、うまく感じ取れないのだ。

 
だから、かわりに私が、その方の言葉を自分の体に流して、あくまでも私の身に起きたことを伝えてみる。
それでは私は傷つかない。安全な場所から、ただ疑似体験して反応するだけだから。


虐待の治療やトラウマケアには色々なやり方があるし、当時のことを語らせることが良いわけではない。でもクライアントがそれを語りたかった、それを私は受け止めて、私の心身で感じたことを伝えた。


初回はこれで終わった。
とても良い時間だったと思う。


その後、最寄り駅でソフトクリームを食べた。とても美味しかった。私の好きな、モカとバニラのミックス。
 

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読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。