見出し画像

北条時頼記(ほうじょうじらいき) [現行上演のない浄瑠璃を読む #1]

前回の記事に書いていた通り、最近、文楽で現行上演がない浄瑠璃を翻刻で読んでいる。
読んだ先から内容を忘れていくため、手元に内容を簡単に書き留めておいたり、twitterでつぶやいたりしている。その中で、所感やその変遷をある程度まとまった文章にしておきたいと思い始めた。できる範囲で、noteの記事にしていこうと思う。先日から並木宗輔作品に着手しているので、まずはそこから。


北条時頼記(ほうじょうじらいき)

初演=享保11年[1726]四月 大坂豊竹座
作者=西沢一風・並木宗輔

並木宗輔の名前が作者として出る第1作。

鎌倉時代、五代将軍・藤原頼嗣がグダグダすぎたため、朝廷より宗尊親王を迎えて将軍の地位に擁することに。その不安定な情勢を背景に、二人の摂政・北条時頼と若狭前司泰村の対立を描く。北条時頼は主人公ではなく、『義経千本桜』でいう義経的なポジションで、物語の柱ではありつつも、彼自身の言動自体がドラマを紡ぐわけではない。

時代物に世話物感が流入してくる前の作品なのか、全段が武家の話になっている。各段で展開されるストーリーが大きな流れに収束する……とかまではいかず、結構話が独立しているというか、ばらけている印象があった。
女性登場人物が結構多いが、そのうち、ストーリー上重要な役割を持ちながら、名前がない人物が何人もいるのはちょっと不思議な印象。

先日まで読んでいた近松半二作品(半二時代の作品)より物語構造は当然(?)シンプル。そして、文章が若干凝っているというか、文雅な印象。道行でなくとも口語に寄りすぎない優雅な文体になっているところがある。並木宗輔(その時代の作品)は読み始めなので、このあたりが本当に特徴なのかどうかは、もうすこし読み進めてから考えたい。

以下、物語上、特徴的な内容。


北條3段目

身代わり趣向の亜種で、死体の入れ替えトリックがあるのが面白い。(三段目)

幾世・松世という武家の姉妹の夫2人が行方不明になり、しばらくして首なし死体が発見される。死体の衣服が松世の夫・原田六郎のものであったことから松世は狂乱。一方、姉妹の母は、死体の腰の刀が幾世の夫・弓削大介のものであることに気づく。詮議のうち、六郎と対立していた大介が犯人だと疑われる。松世は夫の敵討ちをするため大介を探すと言い出し、幾世は姉妹で対立したとしても夫につくと言う。母は姉(実は義理の娘)に助力するとして、母姉妹は3人連れ立って大介を探す旅に出る。

敵同士となった母姉妹が一緒に旅立つところが面白く、道行にもその旅路が描かれるので、芝居の構造としてはそちらに注目がいくが、現代の感覚からすると、「謎の死体」の描き方が現代ミステリ小説風で注意を引く。
「いやいや、衣服だけで判断すんなや、身体的特徴を確認せいや」と思ってしまうが、人形には身体的個性は存在せず、区別できないという特徴をうまく利用している。
この趣向そのものがストーリーに大きな影響を及ぼすわけではなく、母と姉妹の関係のほうが主体になるが、アイデアとして非常に興味深いと感じた。衣装は六郎のものだが、刀は大介のものという引っかかりを作っているのも面白い(これも別に物語上絶大な効果を生んでいるわけではないが)。

このような人形浄瑠璃ゆえのリアリティのチューニング=「人形浄瑠璃は、あくまで人形たちが物語を紡ぐ(人間に代替して上演することは実は難しい)」ことを利用したストーリー運びは、面白い。「小説というジャンルでだけ成立する物語(ビジュアルがないゆえに描ける内容)」と近い、ジャンル特性の感覚がある。
こういう要素が巡り巡って、最終的に、並木宗輔の遺作『一谷嫰軍記』に行き着くのだろうか?

さて、この死体は果たして何者だったのか? それは、読んでのお楽しみ。



北條4段目

もうひとつ面白いのは、恋敵を脅すために被った鬼女面が外れなくなる、嫉妬に狂った姫君のくだり。(四段目)

北条時頼に世継ぎがいないことを心配していろんな人が世話を焼いた結果(ありがた迷惑)、時頼には公家の娘・月小夜と、武家の娘・玉豊姫という2人の側室がいる。この2人のうち、子供を産んだほうを正室にするという話になっている。
時頼と対立している悪人たちは、玉豊姫に「実は月小夜はすでに懐胎している、しかも玉豊姫を呪って亡き者にしようとしている」と吹き込み、鬼女の面を与えて月小夜を殺しに行けとけしかける。本当に懐胎していた月小夜は、夜な夜な現れる怪異に怯え、寝込んでしまう。
玉豊姫は今夜こそ月小夜を殺そうと鬼女の面を被るも、気づくと顔の肉に面が張り付いて心身ともに鬼女と成り果て、取れなくなっていることに気づく。そこに突然山神が現れ、玉豊姫は取り押さえられるが、その正体は月小夜の護衛にして玉豊姫の父である二階堂信濃介だった。玉豊姫はなおも妄執を抑えきれず、自分はこのまま月小夜を殺すしかない、殺してくれと父に懇願する。しかし日頃気強い二階堂も、さすがに実の娘を殺すことはできない。
するとそこへ時頼と月小夜が現れる。時頼は、玉豊姫の嫉妬はまっすぐな心ゆえに起こったことで、自分が2人の妾を持ったゆえにこのような事件が起こったと言って(それはそう)髻を切り払う。その髻を玉豊姫の頭にかけお経を唱えると、鬼女の面は剥がれ落ち、もとの玉豊姫に戻る。

オーソドックスな題材ながら、清浄な雰囲気で綺麗にまとまっている。実際の舞台では、玉豊姫が鬼女の面をかぶり狂乱するシーンが人形の見所だったのではないかと勝手にイメージしている。
本作のストーリー全体で主体的な個性を強く発揮するのは、上記の玉豊姫くらい。特に男性登場人物で個性を発揮する人物はおらず、みな身分・役割に紐づいた言動で、人物造形にあまり魅力を感じない。本作では女性登場人物がストーリー進行のキーになっていて、状況や社会規範に縛られた中での「娘」や「姉妹」といった関係がキーワードになっているが、中でも玉豊姫は状況への受け身が多い世界観を唐突に突き破り、パッショネイトでパパや周囲の人をおもいっきり巻き込んで揺すぶってくるので、結構インパクトがある。
この玉豊姫に限らず、ダメだとわかっていても抑えきれない感情に突き動かされてやってしまう人、浄瑠璃によく出てくるけど、面白い。

それはともかく、冒頭で玉豊姫にあることないこと吹き込むオバチャン(悪人サイド)の噂話パワーがすごい。文楽には噂話大好き腰元&官女はよくいるが、まじで単に噂話をメチャクチャに吹き込みにくるだけの役というのが、すごい。しかも江ノ島まで玉豊姫を追いかけて来て吹き込む。いるけど。そういう人。



あとは、五段目(最後の段)の末尾に「女はちの木」という後日談的な段がついているのが構成上の特徴なのかな。謡曲の「鉢木」とほぼ同様の趣向で、貧家の主が雪の日に旅僧をもてなすため、大切にしていた松・梅・桜の木を折って焚き木にするが、その旅僧の正体が実は……という話。内容はシンプルで、段名「鉢の木」によって出オチで内容がわかってしまうのだが、なくてええがなレベルでおざなり内容であることが多い五段目の末尾についているので、締まりを感じた。


読む方法(翻刻)
・『並木宗輔浄瑠璃集』続帝国文庫  第19編 水谷不倒生=校訂/博文館/1900
・『豊竹座浄瑠璃集 1 』叢書江戸文庫 10 原道生他=校訂/国書刊行会/1991
・『西沢一風全集 第6巻』 西沢一風全集刊行会=編/汲古書院/2005

画像出展=『北条時頼記絵尽』東京大学総合図書館所蔵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?