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一字千金二千金♪  [くずし字を学ぶ]

最近、くずし字を勉強している。

実は2年ほど前も、漠然と「なんかおもしろそう」と思って少し勉強していたのだが、特に目標がなかったので、すぐにやらなくなった。
今回また勉強しようと思ったのは、翻刻が出ていない浄瑠璃の正本(浄瑠璃の全段が載っている本。江戸時代の初演当時に出版されたものなど)を読めるようになりたいと思ったから。
先日、浄瑠璃『艶容女舞衣』の全文翻刻を読んだとき、参考として先行作『女舞剣紅楓』の内容を確認したかったのだが、『女舞剣紅楓』には翻刻本が存在せず、内容を詳説した資料もなかったので、調べ物が不完全なまま終わった。
『女舞剣紅楓』は翻刻はないものの、大阪府立図書館や広島文教大学が所蔵している江戸時代の正本がオンライン公開されているので、それで原文を確認することはできる。が、正本はくずし字で表記されているため、くずし字が読めがないと、いくらネットで簡単に閲覧できると言っても、内容を知ることはできない。本はあるのに文字が読めないって悲しすぎると思った。

それともうひとつは、先日読んだ『擬人化と異類合戦の文芸史』という本で、草双紙に興味が出たため。私はとにかく本当に江戸時代に全然興味がないんだけど、紹介されていた異類合戦ものの黄表紙が面白く、黄表紙を原文で読んでみたくなったから。


どうやって勉強したらいいのかまったくわからないので、まず、自分は江戸時代の一般向け本を読みたいのだからと、草双紙(江戸時代の大衆向け娯楽本)を教材にしている本で勉強してみることにした。
教科書にしたのは、柏書房から出ているアダム・カバット著の『妖怪草紙 くずし字入門』。以前くずし字を勉強していたときに買うだけ買ってやっていなかったものを引っ張り出してきた。

この本は、妖怪ものの草双紙を題材に、変体がなを中心としてくずし字を学ぶという趣旨で編集されている。著者によると、草双紙類はほとんどかなで書かれていて、そこ使われるかなのくずし字は100字程度で、この本では86字ほどが紹介されているため、最後まで学習し終われば草双紙をだいたい読めるようになる、ということだった。

学習の形式は、まず草双紙の短文の原文を見ながら新出の文字(主に現在のひらがなにない文字)を学習。ほかのものに形が似ていて誤認しやすい等の文字には解説がある。それと並行して、その文に使われている近世特有の言葉遣い・慣習などを学んで、近世の文章を読む背景文化を習得する。そして、単元末ごとに、かるた程度の短文の文章原文を自力で読む小問を解く。はじめの教材はお子様向けの赤本だが、単元が進むうちに文章が長文になっていき、絵と本文とセリフが入り混じったレイアウトの黄表紙になっていく。というもの。

さっき、自分は江戸時代には興味がないと書いたけど、妖怪にも一切興味がない(いろんなことに全然興味がないヤツ)。興味ないものが悪魔合体したこの本をなぜ買ったのか不思議で、買ったときに1単元目だけ薄眼で眺めてそのまま放置していた。テキストとして割り切るかーと思って少し読み進めていたら、文章自体が面白くて、助かった。
化け物が人間風に生活している話が多いんだけど、内容がすべてとぼけた感じというか……、なげやりな感じなのが、良い……。この中身のなさ、どうでもよさ、つい先を読みたくなる……。

例えば、下は「ろくろくび みだしなみ」の話。もうすぐ祝言というろくろ首の娘さんがウキウキしながらおめかししているんだけど、テンション上がりすぎて首があまりに長く伸びすぎ&乳母の化け猫が娘さんを褒めているという話で、可愛かった。
絵も、ろくろ首の首そんなに細くて大丈夫なのかとか、乳母化け猫のじーーーーーっと上を向いた表情が本物の猫が天井に止まった虫を見る顔にそっくりとか、みどころが多い。

あと、練習問題の文章が毎回ひどすぎて、笑う。

ひと文字ずつ覚えるのではなく、ある程度長い文章の状態でくずし字を読むと、文字を読むこと自体が捗る。いろんな文章でいろんなくずれ方を見ておくと、はじめは読めなくても、あとで見直すとスッと読めることがある。くずし字は文字がつながっているので、どこからどこまでが一文字なのかを正確に認識することが重要になってくるけど、あっ、ここが文字の切れ目なんだなと、あるとき突然はっとわかることがある。逆に、はじめは読めたのにあとから読み直すと読めなくなっていることがあるのも面白い。パズルみたいな感覚。

それにしても、現行のひらがなにない文字で、何か別の文字に似ているわけでもなく、字母(くずされる前の漢字)の原型も類推できない、またはできても読みが現行とまったく異なる場合、完全に新たな記号を覚える状態。この歳ではそんなんもう全然覚えられない。
『菅原伝授手習鑑』「寺子屋の段」に出てくるツメ人形の子どもたちは戸浪が目を離すととたんに遊び始めて顔や手に落書きしたり、へのへのもへじを書きはじめるアホばっかりだが、自分はあのツメ・チルドレンより確実にアホ。あいつらのほうがまだ読み書きできるだろうなと思った。尊敬する。
本当、自分は子どものころ、どうやってひらがなを覚えたのか。よくあんな変な形ばっかのひらがな50個も覚えられたな。信じられない。

それと、ひとつ思ったのは、当たり前のことながら、文字ひとつひとつが読み取れても、それが単語や文章としてつながる認識がないと、読めないなということ。近世特有の言い回しや語彙を習得していないと、結局、意味がわからない。文楽である程度慣れているせいかそこまで苦労しなくて済んでいるが、文楽にはない語彙は、勉強になって、面白い。

右上、「おれがきんたまもとつかからすたりました」っていう化けタヌキのセリフ、意味がわからなすぎて文字を誤読しているのかとしばらく悩んでしまったが、「俺が金玉も戸塚から廃りました」ということだそうです。そんな文章いきなり発想できない。戸塚に金玉がビッグな男が住んでいたとか、知らんがな。 


テキストばかりやっていても息がつまるので、気分転換として自分が読みたいものも試しに少し読んでみることにした。
国立国会国会図書館デジタルコレクションには明治時代の浄瑠璃の稽古本がたくさん上がっていて、太夫さんが舞台で使う床本と同様のもの(抜き本、五行本)も多数公開されている。いままで床本のあの丸々肥え太ったうなぎみたいな文字って絶対読めないよなと思っていたんだけど、くずし字を勉強しはじめて数日後、なんとなく「寺子屋」の床本を閲覧してみたら…………

「一字千金二千金。三千せかいの。たからぞとおしへる人にならふ子の中にまじはるかんしうさい。たけべげんざう夫婦の者いたはりかしづき我子ぞと……」

読める!!!!!!!!

驚き!!!!!!!

菅秀才が「一日に一字学べば三百六十字との教へ」と言っていたのは本当だった!!!!!!!!

『天空の城ラピュタ』で、初めてラピュタへやって来たムスカが碑文を見て「読める、読めるぞ!!!!」と叫ぶシーンがあるけど、ほんと、あの状態。
以前少し勉強していたときも、文楽劇場の展示室に置かれている江戸時代のチラシにチョロチョロ書いてあるキャプション文字がところどころ読めるようになったんだけど、今回は読める分量がかなり多い。いままで全く読めなかった謎の記号羅列を読めるようになるって、衝撃的。大人になってからこんな経験をするとは、本当、びっくり。

五行本は一文字一文字がものすごくハッキリ書いてあるぶん、草双紙類よりも相当読みやすい。そうですよねえ、稽古本なり舞台用の床本は、明瞭に読めないと話にならないモノだから、わかるように明瞭に書いてありますよねえ。五行本は漢字にルビが振ってあることが多いので、漢字がわからなくてもほぼすべての文字が読める。床本って実は読みやすいものだったんだと気付いた。
「寺子屋」は翻刻が出ているので、自力で五行本を読みつつ、答え合わせができるのも良い。もっとも、「寺子屋」は元々詞章をかなり覚えているので、文字が読めなくても実は結構わかってしまうのだが、あらためて一文字ずつ確認していくと、勉強になる。「たけべ げんざう」は私が覚えにくかった文字「た」「け」が入っていて、おかげでこの2文字を覚えられた。ありがとう、源蔵。
(「たべ」と「んざう」で「け」の表記が違う理由はまだ理解できず)


もしかしたらと思い、『女舞剣紅楓』の正本をあらためて見てみたら、断片的だが読める。漢字が多い箇所は読めないのと、かなが異様に横長に書かれていて文字の読み取りがしづらく、五行本よりは相当読みづらいが、文字を結構認識できる。まだ一週間程度しか勉強していないのに、文字として読めるようになっていることに驚いた。

(冒頭部は「にぎはひは仏を出しに京中が十夜参りの人らんじね。所は名高き誓願寺。夜見世のあんどあり/\と……」かな? このあたりはまだ読みやすいが、だんだん文字が狂ったように横長になって、読みづらくなっていく)

このまま勉強していくうちに読みなれて、漢字も習得して、未翻刻の正本を読めるようになるといいな……。
ただ、やっぱりくずし字は媒体や書き手のクセで文字の形がだいぶ変化するので、そのクセをいかに瞬時に読み取るかの訓練に時間がかかりそうだと思った。


少し勉強しただけでも新しい世界にアクセスできるようになるって、本当にすごい。これで、国会図書館のデジタルコレクションや美術館・博物館の展示など、楽しめるコンテンツが爆発的に増える。

先日は、よく通る道にある大学の掲示板に貼ってあった貴重書展示企画のポスターに使われている絵巻物(おそらく江戸時代のもの)の文字が、断片的に読めた。文字を散らせて書いてあり、かなり崩れているので文章全体の意味がわかるまでの分量は読めないのだが、数文字でも読めたことに驚いた。いままで絵巻物の文字は「図柄のひとつ」的に認識していたけど、読めるようになるとは思わなかった。

くずし字の読解は専門家だけのきわめて特殊なスキルだと思ってたけど、文学部卒や国文学専攻でもなく、人文学的な教養が全然ない自分が読めるようになるとは、勝手に思っていたよりハードルは低かったのだと感じた。なんでもやってみるものだ。勉強ってすごい。
しかし独習でもこうして少しは読めるようになるんだから、世の中のかなりの人(国文学専攻だった人とか)はとくにおおぴらには言わないけれど、実は読めるんだろうなと思った。もっとくずれまくったちらし書きの和歌とか、読めるとカッコいい。


そういうわけで、近頃は隙間時間を見つけて、くずし字を勉強しつつ、くずし字の文章を読んでいる。

今回は目的が明確なので勉強しやすいけど、いつまでこの勉強のモチベーションが持つか。くずし字の読解は仕事や日常生活では絶対に使わないスキルなので、意識的に継続しないと、あっと言う間にまた読めなくなりそう。自分の中に定着するまでいましばらくがんばりたい。


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参考
『菅原伝授手習鑑』四段目 寺入りの段「一字千金二千金……」の部分から

▶︎翻刻(文化デジタルライブラリー リンク先pdfのP115)
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc23/com/pdf/sgw_step_all.pdf

▶︎稽古本(国立国会図書館蔵 五行本)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856299/5

▶︎正本(立命館大学蔵 七行本 リンク先画像左ページから)
https://www.dh-jac.net/db1/books/results1280.php?f1=shiBK02-0059&f12=1&enter=portal&max=1&skip=79&enter=portal


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