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古典芸能を「わかりやすく」紐解くこと [大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』]

大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文藝春秋)を読んだ。
…………6月くらいに……。
普段、まったく娯楽小説を読まないので(というか、現代小説を読まないので)、この小説が面白いのかどうかはまったくわからない。物語としての感想は全然ない。さらさらしててひっかかりが全然なく、スイスイ読める。こんなさらっとしたもんでいいんだと思った。

しかしこの小説、すごい企画だと思う。
大変専門的な内容を扱っているにも関わらず、説明がほとんどない。

文楽(人形浄瑠璃)といったらやっぱり近松門左衛門で、それ以外の作者は一般的には有象無象だと思う。
もちろん、近松を超えるおもしろさや集客力のある狂言を書いた人がたくさんいるのはわかっているんだけど、知名度が一切ない。
私は、文楽を実際に観に行って、パンフレットを買ってすみからすみまで読んだり、解説書をちゃんと読むようになるまで、近松門左衛門以外の作者なんか、全然知らなかった。

先日、『新版歌祭文』を観に湯布院へ行ったとき、開演前に「これって誰が書いたの? 近松門左衛門?」と話している人たちがいた。喋り方が完全標準語だったので、おそらく本来関東在住の、技芸員さんどなたかのお客さんだと思う。関東からわざわざ湯布院まで行くような人でも、作者に対してはそういう認識なんだと思った。技芸員についていると思われる客すらこの状況なのに、一般を対象にした娯楽小説で近松半二を扱うというのには驚いた。いくら最近ニッチ分野の開拓が進んでいるとはいっても、半二ではニッチさに一般ウケを狙える気配がなさすぎだと思う。

さらに驚きを隠せないのは、近松半二の狂言作者としての生涯を描いていること。
てっきり、あたりさわりのない、江戸時代の大坂の芝居町のほっこりストーリーで、え? 近松? あ、『曾根崎心中』のほうじゃなくて、はんぶんのほう。そう、半二! を主人公にしてます、って感じの軽い話かと思っていた。
かと言って、半二は知られざる偉人だったとか、隠された歴史の事実とか、そういう描き方ではない。

そのうえでストーリー進行の主軸にしているのが当時の狂言の作られ方自体というのが、もう、驚き中の驚き。
歌舞伎、人形浄瑠璃(とは当時は言わないけど。この言葉が使われるのはたしか明治5年以降のはず。そういう意味での時代考証がゆるいのかと思っていたら、途中から「操り浄瑠璃」に直っていた)には相関関係があり、また、先行作の取り入れや改作等といった作品同士の繋がりが存在していることを扱っている。

先行作や原作・改作といった演目同士の関係って、すごく面白い、興味深いことだと思う。文楽はじめ、古典作品を観続けたくなる原動力のひとつ。いま観てる話とこないだ観た話がつながってるって気付いたときは、ワクワクする。でも、あのおもしろさを説明するのってすごく難しい。それを切り口にするというのが新鮮な発想だと感じた。古典作品はこういうシステムで作られていると知った当初は驚くんだけど、慣れてくると当たり前すぎて忘れてしまう要素なので、ここを中心に演目のなりたちを一般に向けて描くっていうのがアリなんだ!と思った。

こういった狂言の作り方自体は、半二の個性ではない。すべての狂言に言えること。
これをもって半二の狂言作者として生涯を描こうと思った理由を知りたい。改作で傑作が多いから、とかなのかな(調べないで言ってます)。インタビューとかでは、語られてるのかな。今週発売の『オール讀物』に受賞のことばが載ってるらしいから、チェックしてみようかな。勘十郎さんがイラスト描いてるらしいし。(勘十郎さん、ほんま、なんでもするな。もうデザフェス出てくれ。)

近松半二といったら、綿密で複雑な物語構成やシンメトリー構図の人物・舞台配置が強烈な個性であり、そこが作品をいまも残る名作に押し上げている最大のポイントだと私は思うけど、そこをバッサリ切っているのが潔い。この半二作品のいちばん面白い部分だと思われるところに、一切触れていなかった。この小説でメインに扱われている『妹背山』も、そういう切り口でいくと、半二の時代物の壮大なドラマの創造力に着目できるはず。でも、この小説では、『妹背山』を世話物のように捉えて語っている。四段目をフィーチャーしているとはいえ、割り切ったなと思った。

また、個々の狂言の関連性を描くストーリーにもかかわらず、狂言個別の内容解説めいたものはほとんどカットされていた。話の内容に踏み込まないというのはすごい勇気。『妹背山』の内容説明も、あんまりしていない。
世の中の99.99999%の方は、『妹背山婦女庭訓』と聞いても、内容どころか題名すら一切知らないと思う。
有名と思われる『義経千本桜』でも、題名だけ知ってて、内容知らない人が圧倒的多数だと思う。なので、題名だけ知っていて内容知らない人に話を説明すると、喜ばれる(※通し上演を観たことがないので、観たことのある一部分をもとにした怪情報を流しています)。『仮名手本忠臣蔵』ですら、知られていないと思う。私が文楽を観るようになる前に、文楽の演目でいきさつ含めた内容知ってたもの、「寺子屋」だけだった。
そういう、世の中に知られていない題材を扱う場合、この手の歴史エンタメだと、普通、うんちくというか、まめ知識的なものを盛り込むんじゃないか。盛り込んだほうが、文楽や歌舞伎をご覧にならない方には結構喜ばれると思う。でも、やってない。割り切りぶりがすごい。

それと、この作者の方、誠意があると思う。
そう思ったのは、近松門左衛門と知り合いだった半二のパパが「近松はんのコレとコレとコレがおもろい!」みたいなことを言う場面で挙げている作品が、『国性爺合戦』『平家女護島』『心中天の網島』『女殺油地獄』と、一部であっても原作の部分を残し、現行で上演されている有名演目であること。
数年前、近松をモデルにした小説を少し読んだことがあるんだけど(近松のもとに正体不明な若い子が転がり込んできて、って感じのミステリだった。確か)、そこに出てきた近松ファンを自称する登場人物が、近松の『出世景清』はあたらしい、おもしろいって褒めてたんだよね。それを読んで、小説として信用できないと思った。作者、『出世景清』読んだことないんだろうなと思った。単に、「『出世景清』はそれまでの浄瑠璃とは異なる云々」という「よくある説明」をどっかで読んで、『出世景清』の原文を確認せず、かつ、なんにも考えず書いたんだと思う。『出世景清』を実際に読むとほぼ古浄瑠璃なのはすぐわかるので。しかも『出世景清』、つまんないと思うんだが……(それは私の主観だけど)。近松作品は翻刻されて容易に確認できるものが多いので、横着するとすぐバレますよ。と思った。確か最後に『曾根崎心中』を書いて大当たりを取って「おしまい」、という話だった気がするので、近松のおもしろ作品の例に元禄期以降の作品が使えないのはわかるけど、「一般ウケ」に媚びすぎたんだと思う。一般ウケを狙いすぎて、『曾根崎心中』以前の近松という、逆に難しすぎる時代を描いてしまったのでは……。
(いま調べたら、この小説、ジュニア向けだったらしい。なら一般ウケ狙いもしょうがないか……。)

こういう中途半場なことをせず、相当難易度が高い素材を、ものすごくポピュラーな雰囲気にサラっと仕上げているというのはすごい。この作品はどの作品の影響を受けている、ということ自体を小説化しているので、大量の資料確認や調査等をした上で書かれているはずだが、それをいかにも調べましたとうんちくめいて盛り込んでこないのがプロの技だと感じた。あまりにさらさらとしていて、『役行者大峯桜』と『妹背山婦女庭訓』の関係は、半二の人生を描く上で、もうちょっとしっかり説明しといたてもよくない!?と思ったくらい。あきらかに作劇がうまくなっているポイントのはず。人生の流れをテーマにしているので、へんなマイルストーン感とか、いらないのかな。


これらのことから、専門知識の説明をせず、一般性のないものを一般向けに書いていくという手法が勉強になると思った。なんでも説明的にすることが、一般性を高めることにつながるわけじゃないんだなと。

最近、なんでもかんでも「わかりやすく」すればいいというのは、おかしいんじゃないかと考えていた。
ここでいう「わかりやすく」というのは、「説明的」であることとイコールと、手前勝手に定義していたのだが、そうか、説明を省くことで「わかりやすくなる」というのもあるんだなと思ったのだ。
それと、あまりに説明することにこだわりすぎて、なに言っても理解してもらえないとばっかり勝手に思っていた。もっと受け取り手を尊重しなくてはいけないと思った。相手を軽くみるなんて、すごく悪いこと。余計な情報をカットしてスマートにして、あとどうするかを受け取り手にまかせるというのは、参考にしたい。

先日も、国立劇場の11月歌舞伎公演(『孤高勇士嬢景清』)のプロモーションで目にした吉右衛門さんの発言が気になった。

「より分かりやすい景清像」って、どういうことなんだろう? これがどういう意図の発言か、知りたい。でも11月は文楽で気持ちが超忙しいので歌舞伎まで行けないかも。だって大阪公演で玉志さんが孫右衛門に配役されたんだもん(くそわがまま)。行くかどうかは9月の玉男さんの景清を見てから考えようと思う(何様だよ)。 



最後に、小説の感想から外れて、近松半二自体の話。

先日受講した上方文化講座(大阪市立大学文学部の公開授業)、今年の題材が『心中天網島』で、近松の原作と後世の改作についての解説があった。

有名な話だが、文楽現行の『心中天網島』では、プロモーションで「近松門左衛門=作」と銘打っているにも関わらず、じつは「北新地河庄の段」は、近松半二らによる改作『心中紙屋治兵衛』の「茶屋の段」を上演している。
おなじ改作でも、改作『天網島時雨炬燵』の「紙屋」を出す場合は、ちゃんと『天網島時雨炬燵』の外題をつけて、ほかの段から分離させて独立上演している(昔は混ぜていたけど、最近はやっていない)。
にもかかわらず、『心中紙屋治兵衛』の「河庄」を原作と区別していない理由は、内容がほとんど原作と同じだからのようだ。

それでは、原作と改作ではどこが違うのか?

もちろん、改作は演出を盛ってるというのはあるんだけど、文章に着目してみると、改作では、近松の原文で「踏む」となっているところを、すべて「張る」「蹴る」に書き換えている。
具体的には、治兵衛が小春への怒りに任せて「踏んでやりたい」となっているところを「張る」にあらためたこと。原作に出てくる「踏む」の表現を改作ではすべて修正しているとのことだったが、全部って……。普通、そこまでやるか? と思った。

まず近松原文で「踏む」という語を使っている理由だが、これは治兵衛の家が紙屋であることから、紙→文(ふみ)→踏み、という言葉とイメージの連鎖だと言われているそうだ。怒りに任せて女を「踏む」というのは不自然だが、表現がおかしくても、掛詞を優先して「踏む」を使っていると。(ただし、太兵衛らが縛られた治兵衛をいじめるところ、段切で治兵衛が小春にキックを入れるところは「蹴る」。近松、そこはよかったのか?)

こういう箇所を、改作では、怒りに任せて「踏む」というは不自然なため、自然な表現である「張る」「蹴る」に直していると。

久堀先生の解説では、半二は近松の掛詞に気づかず、すべて書き改めたのだろうということだったが、逆に、気づいてないと、全部直すって、できないのではと感じた。気づいていたから意図的に全部直したんじゃないかと思ったけど。
たんに文章を整理するだけなら、露骨におかしいところだけ直せばいいと思うのだが、孫右衛門が太兵衛善六を「踏みつけ」るところ、別に「踏む」でもいいのに表現が全部直してあるし、最後のほうに治兵衛が「地団駄を踏む」とこまでご丁寧にカットしてるんだよね。
個人的には、全部直すという神経質さに、半二、やべー奴なんじゃねーの、と思った。あまりに偏執的。なんでそこまでしたんだろう。
既存の研究でなにかその理由が述べられているものがあるのかな。

近松半二って、本当はどういう人だったのかな?
『本朝廿四孝』なんか、合作とはいえ、他人を一切信用してない人が書いたとしか思えないんだけど。出てくるやつら、全員最後まで本心がよくわからなくて、怖い。「実は」とかいって正体をあらわしても、本心をあらわしているとは限らない気がするし、どこまで「本当のこと」を「本当」に知っているかわからないし。慈悲蔵とかまじでやばいと思う。松王丸とか熊谷直実が子供を殺すのは納得するが、あいつと芝六だけは真性やと思うわ。「モノホン」な人しか書けないと思う。

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