スランプは誰にでもやってくる
久しぶりの記事投稿。
ずっとスランプだった。
文章が書けなくなっていた。
苦しかった。
今、やっと書こう、書き続けようと思うようになり始めたところだ。
先日、京都ライター塾アドバンスコースで、さわらぎ寛子さんを招いたイベント講座の企画があった。
その講座の中で、書けなくなっていた自分にポッと光が当てられたような気がして、書いてみようと思う言葉があった。
これは、講座の感想というよりも、自分が書けなくなってから、やっとブログ記事を更新しようと思うようになったきっかけを忘れないようにするための記録。
スランプになるとき
スランプは誰にでもある。
気が付いたら、「あれ? そういえば、最近、書いてないな」って感じで始まった。
あれだけ結構な頻度で更新していたのに、急に書けなくなった。
原因はなんだったんだろう。
思い当たることと言えば、春頃、本業の関係者にあることを相談したときや親しくしていた人から辛辣な一言を言われたのを思い出す。
「あぁ、あの言葉を言われてから、書かなくなったんだなぁ」と思う。
そのうちPCに向かうのも気が向かなくなり、いつの間にかスランプに陥っていた。
言われた言葉は、ここに書くだけでも、力を発揮するネガティブな言葉なので書かないけれど、、、
なんでそんな言葉に反応したかということ、自分の心のどこかで、恐れていたことを、言葉として投げかけられたからなんだなと思う。具体的に言葉にされたことで、力を持って自分自身を縛りつけてしまった。
言葉というのは恐ろしい。
発言した人には大したことないことでも、聞く人にとっては、呪いの言葉、自分自身を縛り付ける言葉になり得るのだ。
呪いの言葉とは、自分自身が恐れていること、不安に思っていることを具体化した言葉。それらが全て呪いの言葉となる。
スランプになる要素
自分の心の声たち
本当に書く仕事出来るようになるの?
副業って大丈夫?
自分にできるだろうか?
SEO記事の講座を受けたけど、制限されると書けないなあ
年齢も年齢だしなあ
女性が多い職業で、ちょっと気が引けるなあ
(女性に囲まれるのは楽しいけれど、、、笑)
講座受講者の文章をみると、みんな良く書けているなあ
自分の文章はいけてないなあ、
そんなことをずっと考えて、立ち止まっていた。
疲れちゃったというのもあった。
文章を書くのは、本業の仕事が終わって帰宅後。
家族4人、普段の片付け、掃除系の家事全般は全て自分がやっている。
当然、睡眠時間が削られて、疲れが溜まってきてもいた。
脱出のきっかけ
歩いた分だけ進む。歩かなければ、そこに止まったまま。
自分の場合、1月から受講していた京都ライター塾は4月で終わったのだけれど、6月から続きのアドバンスコースを月1回で受講していた。
それが、スランプ状態の時でもかろうじて続けてこられたので良かったと思っている。
今回、書く気になったきっかけをくれたのは、先日の京都ライター塾アドバンスコースのイベント講座の受講で講師のさわらぎ寛子さんから言われた言葉だった。
「書こうというきっかけとなった思いは、心の根本的なところにぶれずに持っておき、書く仕事ということだけに縛られず、そこから発展する仕事を考えよう。それを叶えるために発信することは続けよう。」
言われた言葉通りではないと思うけれど、だいたいそんなことを言われた気がする。なるほど、書く仕事だけを考えていたけれど、何でも良いんだなと思ったら気が楽になった。文章が下手でもそのうちうまくなるさ。笑
楽観的すぎる。
もう一つ、時間がないなりに、手帳を駆使して、隙間時間を自覚することで、書く時間を作ることを考え始めた。もうがむしゃらに書くのは止めようと思ったのだ。
スランプへの備え
自分の場合、京都ライター塾の受講を終えても自信がなく、考えていた雑誌の編集部への企画書提出をためらっていた。このままだと何もないまま、書くことから遠ざかりそうと思っていたこともあり、アドバンスコースの受講を決めたというのもあった。
講座受講は、スランプに陥ったときでも半ば強制的に課題に取り組まざるを得ない状況になる。
それが幸いした。
スランプに陥り、そのままフェードアウトしないための仕組み作りをすることで、首の皮1枚でかろうじてつなげることが出来ている。
スランプになるきっかけなんて、いくらでも転がっている。
立ち上がるための仕組み作りを怠りなく、準備することが大切だなと実感した講座だった。
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