Fichronicle #45『映像ファイルのパスワード』

2021年3月8日(月)。
3月も上旬へ近づき、日に日に暖かくなって来ている。僕のコーデもあってか、少し歩けば汗が出るほど。


春の道を北半球が進む中、今日SNSでとある話題に人々が注目していた。金曜日の夜に放送している映画枠のタイトルが昔のものに戻るという話に。

記事にはこのタイトルが2012年3月まで使用されていた、と書いてある。
今回、9年の時を経て戻ることになる。

僕は、この話題そのものへの興味は特別あるわけではない。
ただ僕の人生と重なり合う部分があって、この話に興味を持った。





2012年の春、この映画枠は新たな名前になった。オープニングは以前に比べて柔らかいタッチだったのを覚えている。

一度だけ友達とこの事が話題になった。僕が以前の名称で言ったらその人が訂正を入れたとか、そんなだった気がする。

程なくして、僕にのみ適用される時代が変わった。


この頃、家で映画やドラマをよく観ていた。当時は今に比べて映画枠が多く-6つくらいあった-それも理由の一つだったと思う。
ハリウッド映画を観ることが多くて、往年の名作から最近の作品までそれなりに幅広く観ていた。


どこにでもありそうな、自宅での時間が一つの時代の始まりだった。


一年ほどが経ち、読書に興味を持つと図書館へ通うようになる。最初に借りた本は

『100年前の人が考えた100年後の世界』

そんなタイトルだった。この本から大きな影響を僕は受け、今でも物事を考える際に書いてあった事が頭に浮かぶ。

それから2年くらい経ち、今度はアニメを観るようになる。2006年・2009年放送の作品を起点に、そこから2年ほど色んなアニメを−いわゆる“日常系”とか東京や異世界が舞台の不思議なお話まで−観ていた。

新しい習慣が生まれた理由は、ここから3年前の2012年の始まりにあって、前年にランキング番組で紹介されたアニメが衛星放送の深夜の無料枠で午前1時に放映されるとCMか何かで知り、夜ふかしして観ていた事きっかけだった。



時は動いていく。僕は高校生になるし、手元にはスマホがあるし、テレビの映画枠もネットの定額制サービスの影響を受けていく。
僕も時代に乗るようにドラマやアニメ、映画をネットで観る機会が日を追うごとに増えて行った。

再び数年が経ち、いくつか残った映画枠の一つである、金曜日のそれはオープニング映像が新たなものへと変わった。

誰もが知る、アニメーション映画の制作者が手がけた映像は、しっとりとした高級感をまとっていて、今になると時代を映し出していたようにも見えた。
言葉が持つ意味への解釈は人それぞれだけど、僕はこの映像を“ネオシティポップ”な世界観だと思っている。



インターネットが今までにないほどに大きな注目を集める中、年は明け、2021年になる。再び、僕にのみ適用される時代の区分は変わった。


前時代は8年以上もの長い時間だった。

今となっては何もかもが過去になった。自分が観ていたアニメの世界観も、テレビCMも何もかもが過去になった。何もかもが時代の象徴になった。数日にして全てが過去になった。


そんな中で、金曜日の映画枠は名称を変えると発表した。それは僕の中で、時代が変わった事を強調しているような感覚だった。

(リニューアル後は何が放送するんだろ。)

SNSでアカウントを検索してスクロールする。

(あのアニメか。観ようかな。)

そう思い、テレビを付けて録画予約をしておいた。


記憶色の煙が僕の周りを最近よく漂っているけど、僕は未来へ行くよ。未来こそが僕の場所なのだから。

機材代に使います