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自分に過保護な自分

先日、ポッドキャストをやってみたいと思っていることをnoteでも書きました。実は、録音もしたし、BGMも入れました。でもドラフトのまま保存してあります。1人でするポッドキャストは、独りよがりになってしまうのではと思ってしまったから。

Spotifyで人気のポッドキャストは、ほぼ2人~3人で構成されています。会話になったほうが、それぞれの視点が面白いですが、1人の場合、ボキャブラリーや間のとり方など、アナウンサーの高度な技が必要なのではないかと思ったのです。1人で1~2時間の枠を持つラジオDJってすごい。

行動できずにいたら、他のことも手が止まってしまい、壁にぶつかったような感覚になりました。”あれ、自分ってなんだっけ?自分が社会に何ができるか探したくていろいろしてきたけれど、まだ見つかっていない。このままじゃだめだ。でも何をすればいいんだろう?”

悶々としながら時間が過ぎてゆき、ふと娘に絵本を読んでみようと思い立ちました。どんなに考えても答えは詰まったまま出てこないし、娘も昼寝から起こさないと夜が遅くなるし…。先日、聴いた「クリエイティブの反対語」で絵本の読み聞かせで、ライティング力が上がるというお話を聞いたことも背中を押しました。普段は私のほうが面倒くさくなってしまい絵本を読んでいなかったのですが、娘に「絵本読む?」と聞くと、「うん」とうなずいたので、娘が好きな「おでかけのまえに」を読みました。

いつもより、声の抑揚や娘の様子を気にして読んでみたら、苦痛だった読み聞かせが少し楽しく感じました。いつも娘との距離が近すぎて、よその子とならできる接し方ができなかったのですが、そのときは自然に絵本を読むことができました。

それに加え、詰まって出てこなかったアイデアが生まれ、やっぱりポッドキャストやりたい!という気持ちが顔を出しました。嫁いできて、一人ぼっちだった自分にラジオという居場所があれば、心の支えになったり、外へ出るきっかけになるかもしれないと思っていたことを忘れていたのです。

否定はブレーキになります。危ないことをしないように、失敗をしないように自分を抑制します。それはいい面でもありますが、せっかく生まれたアイデアを潰してしまう悪い面もあります。肯定はアクセルです。肯定によって「もっとやりたい」という気持ちが生まれ、アイデアが膨らみます。私は、自分自身にも過保護なのかもしれません。娘に対しても。

ポッドキャストは収録場所がネックで、公開はもう少し先になりそうです。家の中は同居のため恥ずかしいし、車の中は暑いし…。悩ましい。でも、時間と場所を見つけて実現したいと思います。

壁にぶつかったら、周りにアンテナを張り巡らし、目の前の壁とは全く関係がなくても、行動してみると発見があるかもしれません。


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